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互いに愛するなら

ヨハネ福音書13章31-35節 30節に「ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出ていった。夜であった。」とあります。同様な表現なのですが、「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。」(27節)イスカリオテのユダが主イエス様からこうして戴いたのは、最...

いのちのパンをいただいて

ヨハネ福音書6章34-40節 ヨハネ福音書の特徴的な言葉です。  第一 <わたしが命のパンである>(6:35)第二 <わたしは世の光である>(8:12)第三 <わたしは羊の門である。>(10:7)第四 <わたしはよい羊飼いである>(10:11)第五 <わた...

イエスに愛されて

ヨハネ福音書 21章 1-14節 ガリラヤ湖へ漁に出たが、一匹も獲れなかった。 教会暦の上では復活説は今日までなのです。来週から聖霊降臨節になっていきます。由木教会では来週の主日礼拝においてタグチタケオさん、ホンマキョウコさん、そして1週間遅れてナカシマヤ...

悲しみは喜びに

ヨハネ福音書 16章 16-24節 しばらくすると…。しばらくすると…。 私たちはヨハネ福音書を、復活説のメッセージとして読んでおるところです。毎週このヨハネ福音書の言葉が説教の題材となっているわけです。ヨハネの語りかけは一種独特の響きがあります。それに魅...

主イエスに友と呼ばれ

ヨハネ福音書 15章 12-17節 互いに愛し合うことが主の戒め 「わたしがあなたがたを選んだ」という説教をせていただくわけですけれども、聖書箇所は全く同じなんですけれども、説教の内容を多少、変えてお話をさせて頂きたいと思っています。そして「主イエスに友と...

愛に生きる

ヨハネ福音書 13章 1-20節 自分が選んだ者たちの足を洗う ヨハネ福音書の13章ですけれども、いわゆる最後の晩餐の出来事です。この場面でヨハネは、キリストの特別な愛のあり方を語りながら、愛することのできない人間に向かって、人はいかに愛すべきか、人をどう...

信じる–ということ

ヨハネ福音書 20章 19-31節 イエス、弟子たちに現れる 復活祭が終わって新しい歩みが始まったと思います。21章は、のちに書き加えられたものだろうと学者は言います。もともとヨハネ福音書は20章までだったのです。ですから30節31節は、結びの言葉なんです...

キリストの復活

ヨハネ福音書 20章 1-8節 二人の弟子が墓へ向かう 今日は復活祭の朝であります。イエス・キリストの復活の出来事は、絶望に打ちひしがれた弟子達を根底から創り変える大きな出来事でした。確かにそれは一つの歴史的な出来事ではありますけれども、同時に「復活は客観...

神を信じなさい

ヨハネによる福音書 14:1-6 ヨハネ福音書は14章から16章まで、主イエスが最後の晩餐で弟子達に語られた長い説教が記され、17章が最後の祈りです。これらの言葉はマタイ、マルコ、ルカ福音書には記されていない。ヨハネ福音書だけに記されています。 ①1節・2...

私は復活であり、命である

ヨハネによる福音書 11:17-37 ベタニヤ村のこの一家は、日ごろからイエスに愛され、イエスを愛する親密な交流があったのでしょう。やがて本日のテキストに描かれているラザロの復活を経験して、マリアは主イエスの受難の前に、純粋で非常に高価なナルドの香油を、救...