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永遠を映し出す場

マタイ福音書28章16-20節 召天者記念礼拝 猟師は足跡を見れば、その動物が熊か、野牛か、オオカミか瞬時に判別がつきます。人は誰でも、もっともその人らしい足跡を残すものです。その人は何を焦点に、何を目指して人生を送ったのか。すでに刻まれた人生という足跡は...

キリストの昇天

マタイ福音書28章16-20節 4つの福音書がわたしたちに語り伝えていることは、神は4人の著者を通して、イエス・キリストを世に送り、人類を救うために十字架につけさせたと言うことです。それは、人には自分でも自覚しないほどの罪深さというものを心の中に包みこんで...

種まきのたとえ(マタイ福音書)

マタイ福音書13章1-23節 この福音書だけが伝えている物語ではありません。新約聖書には4つの福音書がありますが、その中でマルコ福音書が最初に書かれ、それを基礎にしてマタイ福音書、ルカ福音書が書かれた。結果として最初の3つの福音書は互いによく似ているし共通...

共におられる神

マタイによる福音書 28:16-20 人が、その人生を終えたとき、その人が、人生において何を焦点に、何を目指してその人生を送ったのか、何をもっとも大切なものとして人生を歩んだのかが浮かび上がってくるのです。猟師は足跡を見ればその動物が熊か、野牛か、オオカミ...

いと小さきものにしたこと

マタイによる福音書 25:31-40 誰でも人間の一生は、死によって終わります。でも人の生涯が本物であったのか、なかったのか。幸せであったのか、なかったのか。何によって評価するのでしょう。以前、南米のチリーの出来事をつづる番組がありました。チリーと言えば日...

神のわざに押し出され

マタイによる福音書 9:9-13 イエス・キリストは3年の間12人の弟子を御そばにおいて訓練しました。12人はイエス様に倣おうとして、イエス様と寝食も共にし、行動して、イエス様から教えと訓練を共にしたのでした。ただその人たちの中には特別に地位の高いエリート...

神の前に、真実に

マタイ 7:5-29 本日の聖書の箇所は、山上の説教の締め、結語に当たる部分です。山上の説教を読み返して、自分はどんなに立派にこの言葉を生きているだろうかと得意になれる人は少ないと思います。というのも山上の説教はこれを読めばそれに対する態度決定が求められる...

世の光としての教会

マタイによる福音書 5:13-15 本日与えられている聖句は「地の塩である。あなたがたは<地の塩>である。…13節、・・・あなたがたは<世の光>であると語られました。 弟子たちも、私たちも、そう語られれば、努力して<世の光><地の塩>たらんと目指します。た...

神の酬いのゆえに

マタイによる福音書 6:1-4 つまり、ことは1節<善行>あるいは2節<施し>に関する主イエスの教えです。現代社会は一方では膨大な食品ロスに象徴される、豊かで物にあふれる日本で、国民の三分の一が貧困家庭に属するなどと言われだしています。世界に目をやるとユニ...

いのちあふれて

マタイによる福音書 12:38-45 39節に「よこしまで神にそむいた時代の者たちは、しるしをほしがる。」 この1,2年、日本社会はコロナ感染症対策で企業の経営から、私たちの働き方、教会の礼拝さえ大きな転換を迫られています。とはいえ、こうした感染症は数十年...