いのちのパンをいただいて

ヨハネ福音書6章34-40節

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ヨハネ福音書の特徴的な言葉です。 

第一 <わたしが命のパンである>(6:35)
第二 <わたしは世の光である>(8:12)
第三 <わたしは羊の門である。>(10:7)
第四 <わたしはよい羊飼いである>(10:11)
第五 <わたしは復活であり命である>(11:25)
第六 <わたしは道であり、真理であり、命である>(14:6)
第七 <わたしはまことのブドウの木である。>(15:1)

ヨハネ福音書は西暦90年から100年頃、シリアよりのパレスチナの地中海に近い教会で書かれたといわれています。ヨハネ福音書が書かれたその教会といえば、第一世代の教会指導者ペトロも、パウロも既に殉教死したり老衰でなくなってしまい、教会は、いつ押し寄せるかも知らぬ迫害を恐れつつ、どちらのほうに向かって歩んでいくのか不安の中にいた。社会も教会も動揺と混乱がついてまわっていたようです。行く先は世界伝道、世界宣教ですが人間はそう簡単に理想に向かって動き出せるわけではなかった。

ヨハネ福音書にはユダヤ人とか、サマリア人が登場します。つまりヨハネの教会はそうした人々が身近に存在する教会でした。サマリア人という人種はもともとはなかった。紀元前8世紀に北イスラエルがアッシリヤに併合させられたとき、アッシリヤの王が周辺国家から人々を強制的に連れてきて、ユダヤの人々と一緒にさせたのです。そうして生まれたのがサマリヤ人です。紀元前8世紀のアッシリヤによる強制連行で生まれた悲劇を背負わされた人々。つまり半分ユダヤ人でありながら、半分異国人。ユダヤ人たちはその人々を嫌って差別したのです。その悲劇を背負った人々に思いを注いだのがイエス・キリストでした。善きサマリア人のたとえや、サマリアの女の話が語られています。それほど古くて長いユダヤとの関わりがありながら、その近さが両者にあっては深い亀裂となって、互いの交流や友情を妨げるということは、国と国の間でも個人と個人の間でも時折見られることです。

イエス・キリストはユダヤ人の一人としてベツレヘムにお生まれになられました。キリスト教会はユダヤ社会を背景に生まれました。キリスト教の礼拝は当初ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で行われていました。やがてキリスト教会はユダヤ教の枠内―恩恵を受け続け、主イエスの精神を捨てるか(!)、 逆にユダヤ教を捨てて主イエスの心に生きるのか、二者択一を迫られることになります。ただこの地方で、唯一ローマ帝国から正式に認められていたのはユダヤ教です。キリスト教というか、主イエスの教えはユダヤ教の一つの枝と言うことで存在を許されていたのです。ユダヤ教から敵視されるということは、ローマの公認された宗教ではないということになりますから、ローマ帝国からの迫害をも覚悟しなければならなくなります。キリスト者であるということはローマ帝国の巨大な力に翻弄され、おなじ同胞から蔑みの言葉を投げかけられ、憎しみを浴びる辛さを身に負いながら、キリストを信じて将来に希望を見出すことです。 

キリスト教信仰は、主イエスが<わたしだ・わたしはここにいる>という息づかを信じるところに成立します。たとえそれが<自らを神と自称するローマの帝国権力>だとしても。生き残るすべどころか、存在の可能性すらあるはずもないのに、なぜか、教会は命のパンであるキリストの言葉に立ったのでした。しかも、生々と生きて持ちこたえられたのです。<わたしだ・わたしはここにいる>といわれる方がいたからです。

由木キリスト教会は、カトリック高幡教会と日本基督教団永山教会とともに30年を超えてキリスト教一致祈祷礼拝を続けてきました。しかしこのエキュメニカルな交わりの基礎を造られたのはコンスタン・ルイ神父という方です。ルイ神父はかつて在日韓国人の方々への差別に心痛められていました。そして指紋押捺拒否の群れに加わりました。その結果、母親の葬儀にも参加できなかった。一旦、日本国外に出たら再入国できない状態でしたから。やがて裁判が始まりました。そこで奇跡が起こりました。国側の検事が、ルイ神父の生きかたに心動かされて、カトリックの洗礼を受けたのです。当然、検事が主張すべき国側の主張が正しくないと考え及んで、検事をやめて人権専門の弁護士となられたのです。その後、国側の様々な議論の中で訴えは取り下げられたのです。

「命のパンだ」といわれる方が、その危機の中で実はついていてくださる。そのことをあなたは信じるのか。危機だ、危機だということは簡単です。しかし本当の危機は、この「神がおられることを見失うこと」です。この方はわたしたちと常に共にいていてくださるのです。

そして主イエスは39,40節で言われます。
「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり…」
我々は、主イエスが存命中に出会っていたら、もっと簡単に主イエスを信じることが出来ただろうと思わないことはない。しかし人間の心はそんな簡単なものではありません。主イエスが目の前で5000人を養い、奇跡を行い、人々を癒すのを見たその時代の人々は、イエスを十字架にかけた。弟子達ですら彼を裏切った。
その主イエスが神によってよみがえられた。しかし、それすら弟子たちはすんなり信じたわけではなかった。中には「その傷跡に自分の手を差し入れてみるまでは信じない」と言ったトマスもいました。それを肉眼で見ようと見まいと、信じるというのは心で受け止めることです。ヨハネの言葉を読むときに、わたしたちは彼らが見た主イエスを信じるのです。
しいかし確かにすべての人々がキリスト者になったわけではないのですから、信じ切れなかった人々もいる。でも神がその人を最終的に選ぼうとしなかったのではない。神が捨てようとしたのではない。かく言う私はどうなのか。信仰の歩みの途上で、こうした疑問は人の心に行き来するものです。

キリストの弟子達も、一旦は主イエスを見捨てながら、あらためてキリストに許され、召されて、弟子として回復した。つまり誰一人として神の前にふさわしいものなどいないと言うことではないか。しかしなおそうした者に、<私はパンだ>と呼びかけてくださるのが主イエスです。主イエスがそうして私の傍らにいてくださる。
今日ここにいる人々が、自分の心に信仰を問えば、皆信じる心を持っていると思います。

イエスとともに歩んだ弟子たちは次々と殉教死する。教会は存立すら危ぶまれ、すでに皇帝ネロの時代には、凄惨な迫害の炎がローマ市を燃えつくしたのです。教会は、身を寄せるようにして集まっている小さな群れ。いつ再び巨大なローマ国家権力が迫害に乗り出すかわからない。ヨハネ福音書には、そうした危機に直面している教会に聞こえてきた主イエスの声が語られている。私たちも、もう一度この言葉を我が心の内にしっかりと刻みたいと思います。

2023年4月30日 礼拝メッセージより

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