悲しみは喜びに

ヨハネ福音書 16章 16-24節

しばらくすると…。しばらくすると…。

私たちはヨハネ福音書を、復活説のメッセージとして読んでおるところです。毎週このヨハネ福音書の言葉が説教の題材となっているわけです。ヨハネの語りかけは一種独特の響きがあります。それに魅了されたり、特に難解だと感じながら読んでいるのです。
アメリカの福音伝道者であるビリー グラハムは、初めて教会に行った人に、聖書66巻のどこから聖書を読んだらいいかということを説明するのにヨハネ福音書から読みなさいと言ってる。確か「神との平和」という本だと思います。それで私もヨハネ福音書から聖書の通読を始めたと思います。わかりにくいんですけれども、分かっていく、開かれるという部分が大いにあるわけであります。

今日のところも前半部分で非常に特徴的な表現が繰り返される。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」
「しばらくすると」という言葉がくどいほどに繰り返されていきます。それだけでは非常にわかりにくい言葉だと思います。最初の「しばらくすると」は、十字架の時をさしていると考えられると思います。間近に迫っている主イエスの十字架上の死というのがあります。受難節の動き方から見ますと、17章はゲツセマネです。ゲツセマネは弟子との最後の晩餐とイエスの逮捕が描かれているわけです。弟子たちは、まったく自覚していませんけれども、主イエスには、はっきりと自らの死が見えていたと思います。
死は普通の人間であれば永遠の死です。人生が終わるわけです。ところがイエス・キリストの場合は「またしばらくすると、わたしを見るようになる」という時がある。理解しがたいほどに重大なことですけれども、文章だけ読んでみると、ともかくわけわからない。

主イエスの死については予告もあったことですし、重大な出来事があるかもしれないと弟子たちは一応聞いてた。しかし実際には何のことやらさっぱりわからない。主イエスの死の向こう側に別のことがあるとは弟子たちには到底思えなかった。人間には死の出来事が経過するということ以上に、もうしばらくも何も、それはありえないのです。ことが経過し、主イエスが復活して初めて弟子たちは、主イエスがどういうご存在であるのかということを理解した。
こうも言えるかもしれません。「イエス・キリストという存在は、理性で理解する存在ではなく、信仰を持って受け止める存在である」

ヨハネ福音書はいつ頃書かれたと思いますか? 学者が言うには、だいたい90年ごろ書かれたと言われているのです。ということは、主イエスが地上から去って60年も経って書かれた書物です。主が復活されて教会がローマ帝国のあちこちで生まれて、ペテロもパウロもローマで殉教する。教会の基礎が形作られる中で、イエス・キリストとは誰だったのか、どのようなご存在でいらしたのかということを経験し、体験し、認識して書かれた書物です。
イエス・キリストが肉体を取って宣教し、十字架にかかられた。地上を歩かれた歴史的イエスは、そこに身を置けば誰にでも見られる存在であった。でも誰にでも見られる存在であったわかりやすいイエス・キリストは、それだけの存在ではなかったはずです。目の前に歩んでいらっしゃるからこそ、誤解された。やがてキリストは復活し、礼拝する信仰の共同体の中で、私たちのキリストとして、聖霊として、助け主として、慰め主として、信じる者の信仰体験の中に出会ってくださる方として存在してくださる方になった。だから、単に「一緒にお話を聞いたね」「一緒に見たね」という視覚的な存在として受け止めるだけでは理解できない。信じる者の信仰体験の中で出会ってくださる方だからこそ、私も皆さんも主イエスに出会った。出会ったのです。そしてその中から教えられ、導かれ従わせられて、イエス様の前に、神様の前にこうして歩んでいる。信仰のキリストという姿があるわけです。

「またしばらくすると、わたしを見るようになる」
それは主イエスを神のひとり子として礼拝する教会の共同体においてのみ起こることですから、共同体は堅く信仰を保っていかねばならない。教会は礼拝の炎を止めてはならない。そのためにこのヨハネ福音書も書かれた。
個人のやむを得ない事情で礼拝に馳せ参ずることができないことはあります。1週間置きでも、月1回の礼拝でも心は礼拝に参加しています。しかし公同の教会の礼拝が止まってはならない。非人間的な思いや行動にとどまらないけじめ、具体的な誰かに敵対的な思いに立たないけじめ、そうしたものは礼拝に生きることの結果ではないかと思います。人は神の大きな導きの中に生かされてこの日がある。目に見えないイエス様に励まされてこの日があります。だから自分の都合で礼拝を左右させることはしないのです。

(19,20節)「イエスは彼らが訪ねたがっているのを知って言われた。『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて論じあっているのか。はっきり言っておく。あなた方は泣いて悲嘆にくれるが、世は喜ぶ。あなた方は悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」
23節もそのような言葉が書かれます。「その日に、あなたがたはもはやわたしには何も訪ねない。はっきりておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたは、わたしの名によって何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられあなた方は喜びで満たされる。」

私たちには今、様々な苦しみがあるかもしれない。悲しみを心に持っている人々もいるかもしれません。こういう言葉を簡単に言われても、かえって反感を覚える人もいるかもしれません。しかし主イエスは「しばらくするとその悲しみは喜びに変わる」とおっしゃいます。しかも「今」と「そのとき」とは、あまり長い時ではない。
弟子たちにとって「しばらくすると」という時は、イエスが去られる時ですから辛い時です。ましてや十字架につかれる時ですから悲しみと苦しみの時です。しかしそれはしばらくの時とおっしゃいます。
この世が勝利しているかのように見える時はごく短い。
この世の勝利というものは、もう間もなく終わるのだ。
そのことを覚えたいと思いますし、90年代の教会の人々もそう思っていたに違いないです。

よく言われる言葉ですけども、
「朝を迎えない夜はない」 確かにその通りです。
「通り過ぎない嵐はない」 そうです。必ず希望の時が巡ってくるというのが聖書の教えです。主イエスは責任を持って「またしばらくすると希望の時が来る」と語ってくださるのです。

私は20歳代にマーティン・ルーサー・キングの説教にたいへん影響を受けました。ところが1968年4月4日、私が25才の時でしたか、マーティン・ルーサー・キングがテネシー州のメンフィスで暗殺されたのです。私はたまたま東京駅に行きまして新聞を買ったんです。それもわざわざ英字新聞を買いました。そして開いた途端、大変なショックを受けました。「Martin Luther King Assassinated. (マーチンルーサーキングが暗殺された)」て書いてありました。キングは神への希望をゆるがせにしなかった。暗殺された事件を忘れることができません。
それから十数年して東村山の聖書学院でアトランタのキング記念館の館長である方の講演を聞きました。アジア進学院がこの方を招いて講演会が行われた。
マーティン・ルーサー・キングは何度も暗殺の危機があった。何度もです。39歳で暗殺された頃には毎晩アルコールなしでは過ごせなかったという話がありました。しかし爆弾を投げつけられながら、時にはナイフで切りつけられながら、ルーサー・キングは神の赦しと愛を語り続けました。その結果、黒人に公民権が与えられアメリカは少なくとも政治的には劇的に変わったのです。
1968年は様々な出来事が起こった年です。チェコで自由化を求める政変が起こったのもこの年でしたし、ロバートケネディが暗殺されたのもこの年のことでした。ですから非常に印象深く、このマーティン・ルーサー・キングの暗殺については大きなショックを受けたことを覚えています。

ナザレのイエスが地上のキリストであった時に、神を崇める信仰をヨハネ福音書は人々に訴えました。イエスは確かに歴史的存在です。歴史のイエスは十字架までナザレのイエスです。しかしイエス・キリストは一世紀のパレスチナに生きた方ではなく、永遠から永遠に生きる存在として無限の希望を人々に与えてきました。そして私たち一人ひとりを覚えてくださり、私たち一人ひとりに出会ってくださった。不思議にもこうしてイエス・キリストと出会えて人生を変えられ、新たな歩みを赦していただいた。私たちにはそうした歩みがあります。そしてこの方こそ私たちの人生をさらに大きくお恵みくださる方であることを覚えたいと思います。

お祈り

神様、「もうしばらくするとわたしを見る」と弟子たちにイエス様は語られました。弟子たちにはそれが何を意味するのか全く理解できませんでした。しかしあなたはご自身の十字架と復活を通して弟子たちに死を超える御方であることをあなたは弟子たちに表してくださいました。のみならず永遠から永遠に生きる存在として、あなたはご存在なさってくださいます。無限の希望を人々に与えてくださる方でいらっしゃいます。そうして私たちの生涯も変えてくださり心から感謝いたします。どうぞあなたの恵みを私たちがなお受け止めて、深い思いであなたを見上げていくことができますように助けを与えてください。一切を御手に委ねます。イエス・キリストのお名前によってお祈りをいたします。アーメン。

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