カテゴリー: 礼拝メッセージ

悲しみは喜びに

ヨハネ福音書 16章 16-24節 しばらくすると…。しばらくすると…。 私たちはヨハネ福音書を、復活説のメッセージとして読んでおるところです。毎週このヨハネ福音書の言葉が説教の題材となっているわけです。ヨハネの語りかけは一種独特の響きがあります。それに魅...

主イエスに友と呼ばれ

ヨハネ福音書 15章 12-17節 互いに愛し合うことが主の戒め 「わたしがあなたがたを選んだ」という説教をせていただくわけですけれども、聖書箇所は全く同じなんですけれども、説教の内容を多少、変えてお話をさせて頂きたいと思っています。そして「主イエスに友と...

愛に生きる

ヨハネ福音書 13章 1-20節 自分が選んだ者たちの足を洗う ヨハネ福音書の13章ですけれども、いわゆる最後の晩餐の出来事です。この場面でヨハネは、キリストの特別な愛のあり方を語りながら、愛することのできない人間に向かって、人はいかに愛すべきか、人をどう...

信じる–ということ

ヨハネ福音書 20章 19-31節 イエス、弟子たちに現れる 復活祭が終わって新しい歩みが始まったと思います。21章は、のちに書き加えられたものだろうと学者は言います。もともとヨハネ福音書は20章までだったのです。ですから30節31節は、結びの言葉なんです...

キリストの復活

ヨハネ福音書 20章 1-8節 二人の弟子が墓へ向かう 今日は復活祭の朝であります。イエス・キリストの復活の出来事は、絶望に打ちひしがれた弟子達を根底から創り変える大きな出来事でした。確かにそれは一つの歴史的な出来事ではありますけれども、同時に「復活は客観...

ゲツセマネで

マルコ福音書 14章 32-42節 最後の晩餐の後 私たちはこのレントの間に受難の出来事を1週1週追うようにして歩んできました。受難節の礼拝を歩み続けてきたような気がします。主イエスの十字架への歩みから、そこに込めたイエスの思いを辿ろうとする。そういう時が...

十字架にむかいて

マルコ福音書 10章 32-45節 「十字架にむかいて」というタイトルをつけさせていただきました。元々のタイトルは「向かって」にしようと思ってたんですけど、書いた字が読み取れなかったみたいで文語体風になってます。むしろこの方が良かったかなと思ってもいるので...

十字架に向かって

ルカ福音書 9章 28-36節 山上で話し合いが行われている。弟子達はというと・・・。 いわゆる変貌山の出来事、受難節の中での一風変わった一つのドラマ、物語、出来事であります。主イエスが十字架にかかることを最終的に決断した出来事と言っていいでしょう。前のパ...

あなたがたは、わたしを何者というのか

マルコ福音書 8章 27-33節 奇妙なモノの言い方から説教を始めたいと思いすけれども。イエス・キリストがもし現代に生きていたらとか、私たち自身が2000年前、主イエスが活躍しておられたあのパレスチナにいて、その姿に接していたらイエス様はどんな印象がする方...

悪とたたかうキリスト

マルコ福音書 3章 20-30節 身内がイエスの噂を聞いて取り押さえに来た 「イエスが家に帰られると群衆がまた集まってきて、一同は食事をする暇もないほどであった。」(20節)これは日常と変わることのない言葉です。イエス様が行くところには人が集まる。そしてそ...