作成者: Yugi Church

退職後の近況

2022年2月に40年以上のサラリーマン人生を終わらせて、気楽な生活を送らせてもらっています。外資系企業(前半)と邦人企業(後半)を経験しましたが、Job優先の外資はいたってクールで感情に左右されることなく、能力にあわせて社員が入れ替わるきつい世界でした。...

信じる–ということ

ヨハネ福音書 20章 19-31節 イエス、弟子たちに現れる 復活祭が終わって新しい歩みが始まったと思います。21章は、のちに書き加えられたものだろうと学者は言います。もともとヨハネ福音書は20章までだったのです。ですから30節31節は、結びの言葉なんです...

キリストの復活

ヨハネ福音書 20章 1-8節 二人の弟子が墓へ向かう 今日は復活祭の朝であります。イエス・キリストの復活の出来事は、絶望に打ちひしがれた弟子達を根底から創り変える大きな出来事でした。確かにそれは一つの歴史的な出来事ではありますけれども、同時に「復活は客観...

ゲツセマネで

マルコ福音書 14章 32-42節 最後の晩餐の後 私たちはこのレントの間に受難の出来事を1週1週追うようにして歩んできました。受難節の礼拝を歩み続けてきたような気がします。主イエスの十字架への歩みから、そこに込めたイエスの思いを辿ろうとする。そういう時が...

十字架にむかいて

マルコ福音書 10章 32-45節 「十字架にむかいて」というタイトルをつけさせていただきました。元々のタイトルは「向かって」にしようと思ってたんですけど、書いた字が読み取れなかったみたいで文語体風になってます。むしろこの方が良かったかなと思ってもいるので...

十字架に向かって

ルカ福音書 9章 28-36節 山上で話し合いが行われている。弟子達はというと・・・。 いわゆる変貌山の出来事、受難節の中での一風変わった一つのドラマ、物語、出来事であります。主イエスが十字架にかかることを最終的に決断した出来事と言っていいでしょう。前のパ...

あなたがたは、わたしを何者というのか

マルコ福音書 8章 27-33節 奇妙なモノの言い方から説教を始めたいと思いすけれども。イエス・キリストがもし現代に生きていたらとか、私たち自身が2000年前、主イエスが活躍しておられたあのパレスチナにいて、その姿に接していたらイエス様はどんな印象がする方...

悪とたたかうキリスト

マルコ福音書 3章 20-30節 身内がイエスの噂を聞いて取り押さえに来た 「イエスが家に帰られると群衆がまた集まってきて、一同は食事をする暇もないほどであった。」(20節)これは日常と変わることのない言葉です。イエス様が行くところには人が集まる。そしてそ...

コロナ禍で思うこと

新型コロナ感染から丸2年が過ぎました。コロナも次から次に変異していつ終わるかの見通しもたたず不安な中で毎日を過ごしています。教会でも今までのような礼拝が持てず、時間短縮で声を出しての讃美歌は歌えず、共に食事し、歓談することも控えなければならない状況はとても...

荒れ野の誘惑

マルコ福音書 1章 9-15節 今日の箇所、この1週間、何度も読みました。イエス・キリストが本来の使命である宣教の業を始める前に、荒野で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。「その後、荒野に出かけて40日間サタンによる誘惑を受けられた」とマルコによる福音書...