コロナ禍で思うこと

新型コロナ感染から丸2年が過ぎました。コロナも次から次に変異していつ終わるかの見通しもたたず不安な中で毎日を過ごしています。
教会でも今までのような礼拝が持てず、時間短縮で声を出しての讃美歌は歌えず、共に食事し、歓談することも控えなければならない状況はとても寂しいです。
幸いなことに礼拝のライブ配信が協力者の方々により実現し、毎週配信出来ている事はなんと感謝なことでしょう。様々な事情で礼拝堂に集えない方々、遠い所にお住まいの方、介護や目が離せない人のお世話をなさっている方々からライブでの配信を喜んでくださっている声が届いています。また、普段は教会にお出でにならないお連れ合いが家で一緒に参加して下さる、親戚の者が見ていてくれるとの声も届いて、思いがけない新しい繋がりが広がってもいます。
以前では考えられないズームでの交流も大きな喜びです。祈祷会も牧師夫婦とあとお一人という状態が続いていましたが最近はたくさんの方々が参加下さるようになり祈禱会から交流祈り会と名前を変え聖書の学びと良き交流が持たれています。遠い所に住んでおられる方、教会に関心のある方、途中参加、途中退出や人と顔を合わせることが苦手な方のビデオオフでの参加など様々な方々が参加下さっています。
一方、こんなことも感じています。お料理番組を見ていると多くのヒントやアイデアが与えられ、出来上がった美味しそうなお料理を目で楽しむことが出来ます。でも美味しい香りや味はしません。音楽番組も高いチケットを買わなくても自由に好きな音楽を好きな時に楽しめます。でも、コンサートホールでの演奏で感じる感動、弦楽器のこすれる弦の響き、打楽器の空気振動はありません。映像で映し出される東北大震災の悲惨な状況や原発事故の恐ろしさは現地に立たなければわからない肌で感じる恐ろしさです。
映像での配信の果たす大きな役割を思うとき、これからも継続していくと同時にコロナを早く乗り越えて礼拝堂に集まり、時と場所を共にして讃美歌を歌い、祈り、聖書の語りかけを共有したいです。
久しぶりに礼拝堂での礼拝に参加した方から「やっぱり映像とは違う。聖霊の働きを感じます。本当に来てよかった。」「教会の皆さんに会えてうれしかった!励まされた。」との声を聞かせていただくと嬉しくなります。共に礼拝を守りたいと切に願い祈っています。

終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。

コリントの信徒への手紙2 13:11, 12

小枝 黎子(2022年3月13日 週報より)

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