タグ: 牧師

もう泣かなくてもよい

(ルカ福音書7章13節)  数ある絵本の中でもレオ・レオーニによる「あおくんときいろちゃん」という本は忘れられない本です。この本を知って50年以上も経ちますが、わたしにとってその魅力は少しも減りません。塗りつぶしただけのただの丸である青クンと、同様に塗りつ...

キリストの御復活

ルカ福音書24章1-12節 復活する 本日は復活日、復活祭です。この冒頭の部分に、なぜ女性たちが朝早くイエスの墓に行ったのか、その理由が述べられています。つまり遺体を丁重に葬るべく、香料を持ってきたのです。 主イエスが十字架につけられる直前まで、弟子たちは...

わたしと一緒に楽園にいる

ルカ福音書23章32-43節 本日は1週間後にイースター(復活祭)を控える大切な主日を迎える日曜日です。十字架こそキリスト教にとって大切中心的な出来事です。ところが福音書では十字架の上で主イエスがどれほど苦しまれたかについては、ほとんど描かれてはいないので...

主に見出されて

ルカ福音書15章1-7節 「見失った羊」のたとえ 日本と世界は今、本日の天候のような鬱陶しいくらい暗い時代の中にあるように感じられてなりません。財政や金融を中心とした経済の不安は、世界的に若者達の就職にも大きな影を落とし、ひいては心理的な不安を多くの人々に...

主の変容

ルカ福音書9章28-36節 いよいよ主イエスが十字架にかかるときが近づいて、十字架予告の一週間後、イエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山に登り、そこでモーセとエリヤと話をしたというのです。この出来事はキリストの生涯でもエポックメイキングな重大なときでした...

レントの礼拝への招き

(アメリカ合同メソジスト教会の新しい式文の一つ) 主にあって愛する兄弟姉妹。代々の教会は我らの主の苦難と復活を記念するこの期節を、深い献身の思いをこめて守ってきました。深い悔い改めと断食と祈りの時としてこれを守り、イースターに備えることが教会の習わしとなっ...

心ひらかれて

ルカ福音書11章14-26節 20節の、「しかしわたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ている。」の言葉が、今日、私たちに与えられていると思っています。 あのザアカイに向かって主イエスは「今日、救いがこの家を訪れた。」...

十字架を負う

ルカ福音書9章18-27節 レントといわれるイエス・キリストの受難を覚える教会の季節を、今、私たちは歩んでいます。今読んで頂いた聖書の出来事はマタイ、マルコ、ルカ福音書に取り上げられています。どの福音書も主イエスは弟子たちの前ではっきりと自らが十字架にかか...

受難節を迎えて

受難節に覚える言葉は「弟子たちの裏切りと背信」という言葉です。おそらく、最盛期には数千人にも及んだ弟子たちの集団は、主イエスが十字架にかけられる段になると、もっとも中心的な12弟子たちでさえ主イエスを見捨てて逃げ出し、使徒たちの中心であったペトロさえも「そ...

神のみを神として

ルカ4章1-13節 誘惑を受ける 今日は受難節第一主日です。四旬(40日)節第1主日という言い方もあります。先日の水曜日は灰の水曜日と呼ばれ、レントと呼ばれるキリストの受難を偲ぶ季節に入ります。この頃に咲くバラの一種にレンテンローズというのがあります。厳寒...