タグ: 五十嵐

信じるということ

電車に乗って目的地に出かける。するとしばしば「人身事故のため、ダイヤに乱れが生じています」といった事態に遭遇する。多くの人は 「またか」といって顔をしかめ、数分前に一人の人の命が失われているかもしれないことにすら、感覚が麻痺してしまう日常の出来事である。 ...

合意形成法

わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。 第1コリント 1:11,...

心の在り処

まずは、ロシアの作家オセーエワの童話より。 「一匹の犬が体を前にかがめて、はげしくほえています。そのすぐ鼻先に、垣根にピタリと体を寄せて、一匹の小さな子猫が毛を逆立てて震えています。かっーと口を開けて、ニャーオ、ニャーオと鳴いています。すぐそばに二人の男の...

プレゼント

「贈り物」ということについて考えてみよう。あるいは「与える」ということの意味について。ちょっと難しくいうと、「贈与」ということについて。 ある人(A)が、別の人(B)に、ある物(C)を贈る。お中元でもお歳暮でも、あるいは誕生日でもクリスマスでも何かを記念す...

何を「記念」するのか?

今年は日本にプロテスタントが伝えられて150年目であるということで、プロテスタント各派が協力して「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」が7月に横浜で行なわれた。「目的1.2008年から2009年にかけて、各教会、各学校、各団体で行なわれる行事、集会を...

フェミニズム神学

聖書には互いに反するような表現が、しばしば見られる。 男女の性別と性役割を一致させる家父長制倫理を強化するような言葉 (「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。...

祝福される聖餐とは

先日青年会時代の友人二人と20年ぶりぐらいに歓談する機会があった。かつては毎週のようにあちこち出掛けては夜遅くまで遊んで食べて色々なことを議論していたものだった。一人はドラムが趣味という変わり者の牧師で現在は教区議長をしている。もう一人は長い間アメリカに留...

水を飲ませてください

「水を飲ませてください」(ヨハネ4 : 7)この何でもないフレーズが心に引っ掛かっている。ここには、私たちが考えるべき多くの事柄が含まれている。 普通他人からこうした依頼を受けたら、どうするだろう。依頼する側は、喉が渇いている。だから水を飲みたい。しかし水...

私たちのイエス・イメージは?

私たちは、聖書の中のイエスを最初から最後まで「神の子」として観ている。当然のように。馬小屋で生まれ、様々な不思議な業や癒しを行い、福音を宣べ伝え、最後は十字架にかかり、3日後に甦り、昇天された方として。しかし当時イエスの周りに居た大多数の人々にとっては、新...

海南島で麦の穂を摘む

ちょうど1年前に、中国の最南端に位置する海南島というところにある用件で行く機会があった。いろんな意味で、たまげるような様々な経験をした。格好良く言えば、カルチャーショックというやつである。 その中のひとつに、様々な交通事情がある。まず普通の人々の移動手段と...