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共におられる神

マタイによる福音書 28:16-20 人が、その人生を終えたとき、その人が、人生において何を焦点に、何を目指してその人生を送ったのか、何をもっとも大切なものとして人生を歩んだのかが浮かび上がってくるのです。猟師は足跡を見ればその動物が熊か、野牛か、オオカミ...

いと小さきものにしたこと

マタイによる福音書 25:31-40 誰でも人間の一生は、死によって終わります。でも人の生涯が本物であったのか、なかったのか。幸せであったのか、なかったのか。何によって評価するのでしょう。以前、南米のチリーの出来事をつづる番組がありました。チリーと言えば日...

神のわざに押し出され

マタイによる福音書 9:9-13 イエス・キリストは3年の間12人の弟子を御そばにおいて訓練しました。12人はイエス様に倣おうとして、イエス様と寝食も共にし、行動して、イエス様から教えと訓練を共にしたのでした。ただその人たちの中には特別に地位の高いエリート...

神の前に、真実に

マタイ 7:5-29 本日の聖書の箇所は、山上の説教の締め、結語に当たる部分です。山上の説教を読み返して、自分はどんなに立派にこの言葉を生きているだろうかと得意になれる人は少ないと思います。というのも山上の説教はこれを読めばそれに対する態度決定が求められる...

世の光としての教会

マタイによる福音書 5:13-15 本日与えられている聖句は「地の塩である。あなたがたは<地の塩>である。…13節、・・・あなたがたは<世の光>であると語られました。 弟子たちも、私たちも、そう語られれば、努力して<世の光><地の塩>たらんと目指します。た...

神の酬いのゆえに

マタイによる福音書 6:1-4 つまり、ことは1節<善行>あるいは2節<施し>に関する主イエスの教えです。現代社会は一方では膨大な食品ロスに象徴される、豊かで物にあふれる日本で、国民の三分の一が貧困家庭に属するなどと言われだしています。世界に目をやるとユニ...

いのちあふれて

マタイによる福音書 12:38-45 39節に「よこしまで神にそむいた時代の者たちは、しるしをほしがる。」 この1,2年、日本社会はコロナ感染症対策で企業の経営から、私たちの働き方、教会の礼拝さえ大きな転換を迫られています。とはいえ、こうした感染症は数十年...

復活から永遠へ

マタイによる福音書 28:1-10 今日わたしたちは、イエス・キリストの復活を記念する主日を迎えています。日曜日が今のような休日になったことは、この日イエスキリストが復活した信仰が土台なのですから、復活を事実と信じようと、信じまいと、世界中の人がその影響下...

嘆きから勝利へ

マタイによる福音書 27:32-56 今週は主イエスキリストが十字架に向かって歩まれた最後の一週間を記念する受難週(カトリック教会では聖週間)を迎えます。木曜日は洗足木曜日、十字架につかれた金曜日は聖金曜日 Good Friday と呼ばれます。マタイ27...

十字架の勝利

マタイによる福音書 20:20-28 「さて彼らはエルサレムに上る途上にあった。そしてイエスは彼らの先頭に立って進んだ。そこで彼らは肝をつぶし、従うものたちは恐れた。」(マルコ10:32 岩波訳)肝は肝臓ですが、肝をつぶすとは、非常に驚き、恐れることです。...