共におられる神

マタイによる福音書 28:16-20

人が、その人生を終えたとき、その人が、人生において何を焦点に、何を目指してその人生を送ったのか、何をもっとも大切なものとして人生を歩んだのかが浮かび上がってくるのです。猟師は足跡を見ればその動物が熊か、野牛か、オオカミか瞬時に判別がつきます。

人は誰でも、もっともその人らしい、その人でなければならない足跡をその人生に残すものです。すでに刻まれてしまった人生という足跡は、修正も、変更もできないものです。しかしキリスト者は、その生き方を、彼・彼女と関わりあった人々の心に信仰に生きた証を深く刻むのです。私が深く感じ取っているのは、人生にピリオドを打って、その歩みを止めたとき、その人の存在が、在り方が、どう生きたかが、明確に浮かび上がるということです。

わたしは40数年、この由木キリスト教会に身をおいて、多くの人々を迎え、送り出し、そして毎年のように人々の最期・その死を看取ってきました。死という人間の力が到底及ばないその出来事の中で、信仰者と変えられた人々が、困難な病床で最期を迎えつつ、私のはるか想像を越える勇気と、平安の中で、死を受け止めていった人々が数多くいたのです。同じ一人の人が、神への信仰に生きる前と、信仰を受け入れた後では、まるで別人のような堂々とした平安の姿を表わされたことも度々あり、まさしく死が忍び寄るそこに、神の臨在を感じたことは1度や2度ではなかったのです。

主イエスの弟子たちは、皆様ご存知のように12人おります。12人いて本当は弟子たちなのですが、最後に、主イエスは十字架につかれます。弟子の中で、イスカリオテのユダが、主イエスを裏切り、いわば脱落してしまったのです。やがてはその欠員を埋めるのですが、その余裕すらなく、この十字架と復活の場面では、弟子の数は11人です。弟子とはいえ、中心人物であったペトロも、問い詰められて、三度「イエスと言う人など知らない」と否定しているのです。それでもペトロはイエスが裁判を受けるその場に踏みとどまっていたのですが、ほかの弟子たちはほとんど逃亡していましたので、裏切り者とされたユダと他の弟子たちの違いは、見方によれば大きくはないといえるかもしれません。彼らは復活した主イエスに導かれ、新たにイエスの弟子として再出発します。40日の間、イエスに導かれました。そして、いよいよイエスが天に帰られるとき「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らに洗礼を授けよ。」(17節)という命令をイエスは弟子たちに与えたのでした。繰り返しますが、弟子たちはこのとき一人を欠いていました。12人でなく、11人でした。でも手ひどい失敗と躓きを経験したのはユダ一人ではありませんでした。

残された全員がとても心細い状態でした。主イエスと最後の別れの場であるここに来てもなお「疑うものがいた。」とかかれてあるくらいです。そういう11人に命じられたことは、とても背負いきれないほどの重荷ではなかったかと思います。彼らはその重荷のための押しつぶされんばかりの恐怖すら抱いていたのではないかと思います。

失敗して欠員のある11人。信仰的には、ほとんどが脱落者。精神的にもナーバスだったと思います。こうした人々が「全世界に出て行って」といわれても、誰が見てもできるはずがないとしか思えないのです。でも、そう命じた。そしてすぐに続いて「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」と付け加えられました。

信仰について考えをいたすとき、人は戸惑いを覚えるものです。信仰をスタートするだけなら簡単です。しかし、そこに信仰者らしい行動、生き方が求められます。これでいいのか? それらしくない自分に無力感を感じ、気が重くなることがあります。確かに信仰は単に精神的な気休めだけではないのですから、何らかの行動や結果をもたらすはずです。そうでなければ、むなしい言葉遊びの世界になっていくでしょう。到底実現不可能と思えるこのイエスの弟子達に向けられた命令ですが、結果としてこれは実現したのです。ペトロは、弟子達のリーダーに指名されますが、それでも繰り返し失敗します。

ローマの郊外に<クオ・ヴァディス・ドミネ教会>なる小さな教会があります。数年前、私たちはこの教会を訪ねたのです。実はペトロはいよいよ皇帝ネロによる迫害が近づいていることを知り、ローマから安全な場所に避難しようとローマ脱出を企てました。そしてこの教会があるアッピア街道沿いのこの場所に来て、今まさに殉教の地ローマを離れんとしたとき、天にいるはずの主イエスに出会ったのです。そこでペトロは<主よいずくへ?(クオ・ヴァディス・ドミネ?)>と聞いたのです。イエスは「わたしはお前に代って再び十字架につきに行くのだ。」と答えられた。ペトロはハッと気づいて、再びくびすを返してローマ市の中心に向って殉教したというのです。教会は小さな、どちらかというと質素な、由木教会より小さい、静けさをたたえた教会です。

その教会には宝物があります。イエスの足跡の大理石です。それが大きいのです。バカでかい。40-50センチくらいの大きさの足跡なのです。弟子たちには、やむを得ず主イエスを裏切ってしまったけれど、主イエスは依然と少しも変わらなく弟子としてその務めに任じてくださる。主イエスは微動もせずに弟子たちを許してくださる。

ところがその近辺の地下は、広大なカタコンベになって、巨大な地下墓所は何キロもの迷路の教会なのです。それは弟子達の頑張りや努力の結果ではなく、神が弟子達を励まして、結果を見せてくださったのです。

<わたしが共にいてあげよう>
神が共にいてくださることは、そのこと事態が特別な状況なのです。
<私は世の終わりまで、あなた方と共にいる。>
「世の終わりまで」という言葉は「あなた方と共にいる。」という表現を強める言葉でしょう。「常に」「いつまでも」という副詞的な表現でしょう。

思えば私たちの人生、毎日が初体験です。昨日の私と、今日の私は違います。昨日と同じ時間に目覚め、同じ時間に床についても、私たちは二度と同じ生活を繰り返すことはありません。

明日の私が、今日よりマシかどうかはわかりません。何しろ、今日という日は初めてなのです。そうして苦闘しながら一定の年月の経過を終えれば、この世から消えていきます。しかし、我々はそれで消えてなくなるのではないのだと思います。ただ消え去るのみの人生なら、最初から生きて歩む気力や、責任も生まれません。私は人生を生きていくということは、私と関わった人々の心に、わたし・あなたという像を刻み付ける過程のような気がしています。私が死ぬ、それは私という存在が人生を終える、私がいなくなるということに終わらないのです。私という像は誰かの心に投影されているのです。死んでからでさえも残る像を結ぶとしたら、できればよき像を結んで、人生を終えたいものです。

これは我々が約束したことではありません。「私は世の終わりまであなた方と共にいる。」という言葉は、私たちが神に約束したことではありません。“神が”私たちにに約束してくださったことです。このときの弟子たちは、信仰的に、精神的にも最低のときでした。ほとんど使徒とはいえないような状態のときです。頼りなく、自信もありませんでした。彼らはただ、神がともにいてくださるという約束だけを頼りにしました。自分を見ても、どこに確かなものがあるわけではありませんでした。
弟子達には何もありませんでした。でも、これだけを信じた。信じないわけには行かなかった。そこから希望が生まれていったのです。目の前には復活した主イエスがいたのです。過去がどうであったとしても、将来がどう運ばれていくか分かりませんが、ともかく、今日ここに共にいてくださるキリストを信じたのです。弟子たちは力ない、ダメなものでしたが、勇気をもってこれを受け止めた。

さて今日の御言葉は「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいる。」で締めくくられます。これは単に形式的な結語、結びの言葉なのでしょうか。 私は今回のお話を準備しながら、マタイは主イエスのこの言葉を伝えるために筆を執ったのではないかと思ったのです。マタイは幼子イエスの誕生物語も、このすべてのことが起こったのは神が預言者を通して言われていたことが実現するためであった(インマヌエル「神は我々とともにおられる」)と冒頭に語るのです。

<私はいつもあなたとともにいる。>
言葉に出してこう言える関係は、その根源に、愛するという確固とした意志と、あつい感情なしには成り立たない関係です。言い換えれば「あなたを深く愛します」という言葉です。十戒が語られる出エジプト記20:5に「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神。」とあります。

たとえ相手とする弟子が、今は頼りにならなくても、信頼がおけなくても、信仰すら怪しくても、神の愛がそこに注がれるなら、人は育ってゆきます。愛するからこそ、いつもそばにいてほしい。それを圧倒的許しをもって主イエスが弟子たちに語ってくださる。それは私たちに向けられている。そう信じることが許される。神の愛は、言葉と、主イエスの行動として弟子たちに伝えられ、弟子たちの内側にその愛は結実して、言葉として、行動として人々に受け継がれていきました。

非力な11人でした。しかし20年後くらいには、ローマ帝国全体に教会が生まれていたのです。20年でこの弟子たちが、世界を変えたのです。それは弟子達の能力や、やる気の結果ではなく、共にいてくださったキリストの故としか言いようがないのです。私たちの生涯も、全面的にキリストを見上げて生きる道があります。

(2021年11月07日 礼拝メッセージ)

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