カテゴリー: 週報の裏面

満ち足りた心をもって

あしたは今日よりも幸せになれるだろうか。われわれはばくぜんとそんな願いを心に抱いて毎日を過ごします。その一方で、新聞やテレビのニュースを見ていると、毎日のように次から次へと殺人事件が頻発します。殺人事件では、手をくだしたほうが悪いに決まっていますが、様々な...

平和に生きる

8月を迎え、今日は平和聖日を迎えました。大戦終了から60年たち、日本の近代史を教えられなかった若者の間では<日本を戦争ができる普通の国へ>という感覚が強まっていると聞きました。この8月。あちこちで盆踊りが行われます。8月は日本の鎮魂の月です。わたし自身も外...

よき生とよき死を迎えるために

このところ私の周辺で、身近な人々の死や、あきらかに人生の終わりがカウントダウンにある状態の近しい人がいます。もはや意識が完全になくなったその人の枕辺に立って、過去の様々なことごとを思い出しながら、人の生には必ず終わりがあることを痛感しました。かつて日本人は...

いのちを惜しんで

1980年5月といえばさほど昔のことではありません。韓国の全羅南道でいわゆる光州事件が起こったのです。当時、韓国軍の実権を握っていたチョン・ド・ファン将軍が民主化を求める光州市民に向かって軍隊と戦車を差し向けました。電話線が切られ、外界を遮断して、20万か...

不思議な導き

7月15日、教会員のお嬢さん、H子さんが都立神経病院の医師のKさんと結婚式を挙げられました。うれしく、華やいだ、心に残る結婚式でした。H子さんが都立神経病院のお医者様と結婚なさると聞き、私には一人の人のことが心に引っかかっていました。その人とは1990年4...

平和を求めて

今年の春は私にとっていつもとは違った特別な時でした。家でおとなしく物を作る事が好きな私には珍しく活動的で刺激的でした。日頃はキリスト教関係者との交流が多いのですが、立場の異なった方たちや分野を異にする方たちとの多くの出会いを経験した豊かな時でもありました。...

修復的司法

先週、私たち夫婦はハワード・ゼアさんを講師に迎えて聖書学院で行われた、東京ミッション研究所主催の「牧師研修会」に参加しました。表向きのタイトルは《「新しい社会」を形成する教会―包括的贖罪理解による共同体の変革》と名づけられたものでしたが、その内容は最近司法...

愛は (すべてを) 信じ (すべてを) 望み (すべてに) 耐える

今の日本の社会はどうなったのだろうと思うほど、心すさむ出来事があちこちで頻発します。一連の心寒くなるような出来事は、社会の片隅の、偶発的な、例外的な出来事かといえば、必ずしもそう言いきる事が出来ない、どこかでわれわれの日常につながっている出来事かもしれない...

国を超えて

主イエスは福音の宣教をその生涯の使命となさいました。そしてその福音はたしかにまずユダヤ人に向けられましたが、決してユダヤ人だけに限られたのではありませんでした。イエスの福音は最初から人種と国境を越えたものでした。国家として政治的な実権を奪われていた当時のユ...

聖霊を仰いで!

新聞やTVで家庭のトラブルが伝えられます。杉並では海洋学者の父親と主婦である母親を、アメリカで公認会計士の資格を取った息子が、殺害して、自らは放火自殺したという出来事が起こったそうです。事件を起こした息子は、仕事にも、人間関係にも行き詰った果ての出来事でし...