不思議な導き

7月15日、教会員のお嬢さん、H子さんが都立神経病院の医師のKさんと結婚式を挙げられました。うれしく、華やいだ、心に残る結婚式でした。H子さんが都立神経病院のお医者様と結婚なさると聞き、私には一人の人のことが心に引っかかっていました。その人とは1990年4月に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で天に召されたM子さんのことです。彼女は7年に及ぶALSとの闘病を経て、その年の4月に天に召されました。その後ALSはだいぶ社会的に認知されましたが、当時はまだあまり知られていない病気で、統一的な患者相互の全国組織はやっと立ち上がったような状況でした。ALSは当時、原因不明で、治療法もない病気で、全身の筋肉が萎えて、5年ほどで確実に死を迎える病気といわれていました。1980年代、がんの告知はアメリカにおいて普通のことになっていましたが、ALSはアメリカでさえ告知されない病気と聞きました。原因不明で、治療法もなく、5年で確実に死を迎える病気とは、死刑を宣告されたに等しい病気だからです。かなりの人が病気を知った段階で、生きる意欲を奪い取られ、植物状態になることもあるようです。
私はお見舞いのため都立神経病院を訪ねたおり、こんこんと眠り続けるひとりの患者さんと会ったことがあります。病気がごく初期のころ、Mさんはお嬢さんとともに教会に来られ、お二人とも洗礼を受け、教会生活をともにしたことです。Mさんは都合7年間、教会生活をされました。女性一人で4人のお子さんを育て上げ、北野台に美しい家を建てられ、市役所を定年退職され、これから人生を楽しもうとされていた矢先の発病でした。
どんなに絶望にうちひしがれたか想像に難くないことです。見方によればとんでもない不幸のくじに当たったようなものです。しかしその後Mさんは見事な信仰を生き、いかに自分は幸せであるか、よき家族に恵まれたかを語られ続けました。そしてその生き方をつづった一冊の本まで書かれたのでした。御家族も必死で支えました。私たちも日曜日の午後、行く先々の病院でMさんと礼拝をともにしました。このころ病気の進行に合わせて、教会員のOさんがMさんのワープロうちができるよう、補助具を開発してくださったのでした。

当時、都立神経病院の主治医H先生は、献身的にMさんの治療に当たられました。その誠実で、患者の側に立つ態度は驚きでした。私とも何度も会ってくださいましたし、必要のあるときはわざわざ由木教会に電話を下さったこともあります。医療制度の都合上Mさんはいくつかの病院を転々としましたが、主治医のH先生は、行く先々の病院に出向き、適切なアドバイスをされたのです。この方の誠実な態度があったからこそ、Mさんは7年ALSに打ち倒されず、ALSを生きたのです。

さて今回のH子さんの結婚式に、このH先生が都立神経病院の病院長としておいでになっていたのです。そこで披露宴終了後、私はH先生に「たぶんご記憶ではないと存じますが・・・」と話し始めたところ、Mさんのことも、由木教会のことも明快に記憶しておられたのです。先生も、お連れ合いも、涙を流して当時のことを語り合ったのです。「不思議な機縁ですね。」H先生は何度も繰り返しました。当時、教会生活をともにした方のお嬢さんが、ALSの専門機関の医師とむすばれ、その方の上司に当たる病院長が、やはり由木教会の教会員だったMさんの主治医で、何がしか由木教会とのつながりがあったということです。単細胞の私はそこに神の手を覚えずにはおれないのです。
人はそれぞれその時かぎりの、起こり来ることに懸命に対応します。しかしやがて人生はひとつの線で結ばれるのです。その背後に神がおられるのです。今回の結婚式は、そうしたことを深く意識させてくれるものでした。

(2006年07月16日 週報より)

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