いのちを惜しんで

1980年5月といえばさほど昔のことではありません。韓国の全羅南道でいわゆる光州事件が起こったのです。当時、韓国軍の実権を握っていたチョン・ド・ファン将軍が民主化を求める光州市民に向かって軍隊と戦車を差し向けました。電話線が切られ、外界を遮断して、20万から、30万の市民が軍隊に対峙したのです。チョン将軍はこの人々に仮借ない攻撃を加えました。多くの人々が犠牲になる様子が伝えられました。現在知られているところによると、韓国軍は火炎放射器まで使用し、女性、子供を含む2千名以上の市民が殺害されたといわれます。チョン将軍はその後、大統領になり、権力の頂点に立ち、国家から勲章を授与されました。けれどやがて光州事件の全容が明らかになり、チョン将軍は収監され、勲章を剥奪され、犯罪者として処断されました。当時日本基督教団の有名な牧師が、事件後、韓国を訪ね、政府寄りの教会牧師から説明を受け「光州事件はなかった。」と新聞に記事を書いて目を引いたことがありました。

当時、日ごとに、実弾をこめて軍隊がどこまで進んだかが、伝えられました。祈るような気持ちで、一般の民衆が犠牲にならないように、食い入るように新聞を読んだものです。しかし軍隊は着実にその前進を続けました。そしてついに何の武装もない市民に襲い掛かったのでした。同時に、全斗将軍は金大中を民衆を扇動したとして陰謀、内乱予備罪など数々の罪名を挙げ、軍法会議で死刑を宣告したのです。正義が踏みにじられ、民衆の命が虫けらのように扱われたときでした。

状況は全く異なりますが、今イスラエル軍が、さらに進んだ武器を使って軍事活動を進め、レバノン国境に軍隊を集結していると伝えられています。現代世界は紛争解決の方法を武器しか持たないのでしょうか。そこを生活の場とする一般市民のことなど政治家や軍人たちはなんら関心を持たないのでしょうか。家族との憩いの場である家、会社、学校、幼稚園に爆弾が注ぎ、銃剣を持った兵隊が合法的に市民を殺害し、破壊しつくして、ブルドーザーですべて瓦礫でふたをして、地ならしをする。イスラエルの軍隊が時折見せる蛮行です。

<武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。>日本の憲法は根源的な解決を示します。圧倒的な武力をしてもアメリカはべトナムで勝てませんでした。でも、ベトナム戦争で死んだベトナム市民は150万人を越えるとも言われました。二度にわたるイラク戦争で、米軍は軍事的には完全な勝利を収めたといわれますが、今やイラクは泥沼化しつつあるといわれます。改めて憎しみにかり立てられて、武器を取ることのおろかさを覚えずにはいられません。
名もない一人の人間の命を、この上なく大切にされる神。剣をもって立つものは、剣によって滅びるとしたイエス。ひとは他者への愛と和解にこそ生きるべきなのです。

(2006年07月23日 週報より)

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