よき生とよき死を迎えるために

このところ私の周辺で、身近な人々の死や、あきらかに人生の終わりがカウントダウンにある状態の近しい人がいます。もはや意識が完全になくなったその人の枕辺に立って、過去の様々なことごとを思い出しながら、人の生には必ず終わりがあることを痛感しました。かつて日本人は「死」について考えることは不吉で話題にすべきことではないと考えてきたと言われます。しかし、死を迎えない人はだれもいません。問題は死のときがいつかは知り得ないことです。最も死のときが特定されたら、死刑執行を待つ身のような気持ちになるかもしれません。もし1年後に自分の死が来ることを知ったなら、自分は何をすべきか、冷静にそのときを迎えることが出来るかどうか、そうなってみなければ到底予想もつきません。しかし、60歳を過ぎた私の年齢であれば、そうした可能性は低いとはいえないでしょう。

キリストやキリストの弟子たちには、自らの死が近いことを深く自覚しながら、それでいてはかりしれない勇気と肯定的、前向きな人生に生きたことです。

「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることが出来るでしょう。さらに、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを捧げ、礼拝を行う際に、たとえ私の血が注がれるとしても、私は喜びます。」

フィリピ 2:16,17

使徒パウロはフィリピの教会の人々のためなら、殉教の死すら喜ぼうと書き送ったのでした。パウロはフィリピの教会の人々が「非の打ち所のない神の子として、世にあって星のように輝く」ことを望みました。社会というものは、場所と時を選ばず常に人間の退廃と混乱を宿しています。その時代はとくに人の命や人権は、風に吹かれるほど軽いものでした。人並みに生きれば底知れぬ腐敗と罪から無縁で過ごすことなどできません。フィリピ教会の人々はギリシャローマの退廃の中で、パウロをして<神の子>と言わしめました。彼らは一市民であるとともに、神の子としての自覚と生き方を持っていました。神が歴史や日常を切り裂いて、人々を捉え、人々を輝かせてくださることを、経験したのです。
パウロ自身がそうでした。自分の信条や正義で、人を殺すものから、人を生かすものに、傷つけるものから、いやすものに、他人を憎悪するものから、喜びを共にするものに変えられたのです。やられたらやり返すと言う生き方。いわれたら、言い返すというふつうの生き方。それもひとつのありようです。でもそこには喜びも、満足もありません。そして何よりもパウロ的生き方には、迫り来る死にも押しつぶされることなく、輝きと喜びを失うことがありませんでした。それはイエスキリストにつながる生き方だからです。

生を受けたものは必ず終わりが来ます。よく生きた人だけが、よき終わりを迎えることが出来ます。

(2006年07月30日 週報より)

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