カテゴリー: 週報の裏面

平和を生きる

今年も半年が過ぎようとしています。由木キリスト教会では8月のはじめに必ず平和聖日礼拝を行うのが通例です。あちこちで盆踊りが行われる8月は、本当は鎮魂の月でもあります。わたしは外地樺太の生まれなのです。戸籍上では樺太の生まれで5男にあたります、両親は二人の兄...

わたしたちは主のもの

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 ローマの信徒への手紙14章8節  このパウロの言葉は、私の一生涯を貫いて、救いの拠り所となる御言葉ではないかと思...

修学旅行の思い出

 私の高校はミッションスクールで、修学旅行は別名「祈りの会」と呼ばれる巡礼の旅でした。携帯電話禁止、トランプのような遊戯物も禁止と旅のしおりに書いてあり、母も「こんな修学旅行もあるのね」と仰天していました。せめてお土産だけでも、と言ってお小遣いを沢山持たせ...

あなたの信仰があなたを救った

ある女性が出血のどん底にあった。出血が止まらなかった。血が止まらないということ、そのこと自体、恐怖である。マルコ福音書のこの女性は宗教的に、社会的に、汚れた者として不浄のレッテルを張られ差別されていた。鮮血が止まらないということは本人にはどうにもならない。...

生涯をかけて、信仰を生きる!

わたしはキリスト教信仰を生きることを通して、とても多くのことを得た。当然のことながら、だれか特定の人を憎悪したり恨んだりするこだわりからも自由にされた。それはキリスト教信仰を生きることの大きな特典だと感じている。単純で、深みに欠ける人生と言われてしまえばそ...

クリスチャンとは

わたしたちはクリスチャンです。ところでこの当たり前のように使っているクリスチャン(キリスト者)という言葉は聖書の使徒言行録11章26節で始めて登場する言葉で、2000年前のシリヤのアンティオキア教会の信徒たちを侮蔑的に呼んだことに発する言葉のようです。 元...

平和のために

神さま昔、この国に戦争がありましたたくさんの若者がよその国に出かけていって死にましたその国の人は焼かれ 殺されひどい迷惑をうけましたその国々の人は今でも私たちを心の深いところでゆるしていません私たちは何代かけても それに謝罪したいと願います日本人も死にまし...

心傷ついている人に

神さま人の痛みや心が傷ついていることを理解できない人があまりに多くいますそのひとことを言う前にこの言葉に傷つきうめく人の心を思いやる やさしさがないのです   なんでもないしぐさの中に心も凍るような思いでただうつむいて だまって一点をみつめうめいている人の...

みなキリストにあって一つ

そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 ガラテヤ3章28節 この文章を書いたのは使徒パウロです。パウロはかつて熱狂的なユダヤ主義者で、キリスト教徒...

もう泣かなくてもよい

(ルカ福音書7章13節)  数ある絵本の中でもレオ・レオーニによる「あおくんときいろちゃん」という本は忘れられない本です。この本を知って50年以上も経ちますが、わたしにとってその魅力は少しも減りません。塗りつぶしただけのただの丸である青クンと、同様に塗りつ...