聖霊の賜物
使徒言行録2章1-13節
ユダヤには年間で3つの大祭があります。
春の<過ぎ越しの祭り>(大麦の収穫)
夏のはじめの<五旬節>(小麦の収穫の始まり)
秋の<仮庵の祭り>(全ての穀物と果物、特に葡萄とオリーブの収穫が無事に終わった事を祝い、神に感謝する)
イスラエルの長い歴史の中で、これらの大祭と農業との関係は薄れる中で、祭りはむしろイスラエルの歴史的な出来事を記憶し、祝う祭りとなっていきます。
春の<過ぎ越しの祭り>は、エジプトからの解放を記念する祭りに。
夏のはじめの<五旬節>は、シナイ山で律法が与えられたことを記念する祭りに。
秋の<仮庵の祭り>は、イスラエルが40年もの長い日々、荒野の旅の間、テント(天幕)で過ごしたことを記念する祭りに。
そして今日が五旬節(ペンテコステ)当日なのです。先週の日曜日は―主イエスの昇天を覚える主日(日曜日)でした。ある意味においては地上のキリストの時の終わりでもあります。しかし神は「わたしが去った後には別の助け主・聖霊が与えられる」と繰り返して語られました(ヨハネ14:16-26)。弟子たちといえば、リーダー役のペトロが尋問されて、イエスという人物など知らないと3度も嘘をついたり、銀貨30枚で主イエスを敵に売ったりという裏切り行為を行ったばかりの時です。その弟子たちの群れに聖霊が注がれます。
神が私たちになさることは、私たちの知識や判断や経験を全く超えたことと言えます。聖霊が降臨したとき、弟子たちは新しい葡萄酒に酔っていると誤解されるほど喜びにあふれていた。パルティア、メディア、エラムの人々。メソポタミア、ユダヤ、カパドキアの人、ポント、アジア、フルギア、パンフィリア、エジプト、キレネの北アフリカの人々、加えてクレタ・アラビア。これらの人々は神の言葉を語った。しかし聖霊体験は単なる神秘的な経験でも、理性を失って何かにとりつかれたような状態になることでもありません。それはこの出来事のあと、ペトロが人々に語りかけた言葉が非常な力と確信に満ちた言葉であり、とても落ち着いた態度であったことからも感じとれます。
主を信じる人々の群れに聖霊が注がれることによって起こった第一の事は、人間のあらゆる制約を超えて人々が和解と許しを語り出したことであり、これがヨエルが聴いた神のメッセージだった。ペトロはヨエル書を引いた。
主は言われる。
ヨエル書2章12,13節
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ
断食し、泣き悲しんで。
衣を裂くのではなく
お前たちの心を引き裂け。」
その後
ヨエル書3章1-3節
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日、わたしは
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
天と地に、しるしを示す。
それは、血と火と煙の柱である。
ペトロの説教を聞いて多くの人々が心強く打たれたのです。以前の口語訳聖書では「心を刺された」と訳されていたと思います。人々はそのままでは家に帰ることができなかった。ペトロや使徒たちに相談した。そしてその日に3千人ほどが洗礼を受けました。
使徒言行録は、すさまじいばかりの聖霊の働きが、弟子たちを奮い動かした初代教会の最初の一歩。こうして始まったばかりの聖霊の働きは、今朝もここ、由木キリスト教会に継続して、私たちに働きかけているのです。今日という日の出来事を、私たちは深く心に刻みたいと思います。
2023年5月28日 礼拝メッセージより