神は働かれる

ローマの信徒への手紙 8:26-39

最近の災害の警報・注意報では「命を助ける行動をしなさい」と指示されます。

とはいえ、洪水は突然の出来事です。福島の震災で被災した南相馬市の住民の方で一旦は自宅に帰ることができ、連れ合いと再会するも、あの巨大な津波に襲われた方の実話を、忠実にドラマ化したTV番組がありました。お連れ合いとは最初の大地震で帰宅して家で再会したものの、海側方向への強力な津波の引き潮で、遥か沖合に押し流されてしまい、死に別れてしまわれた。途中で原発の水素爆発を海から眺めたり。不思議なことに自宅の二階の屋根が漂流物として彼のそばに流れ着くのです。早速それに乗り移って43時間の寒さの中での孤独な漂流に耐えるのです。何隻かの船とは出会うものの気づいてもらえず、ほぼ2昼夜に及ぶ死と孤独の漂流を経験した方の再現ドラマでした。まさに災害の時代、形を変えて同様な状況に出会わせられた私ならどうやってこうした危機を耐えてゆくのか。

使徒パウロは8:26節で「私たちはどう祈るべきか知りませんが」と言います。そうした状況では、あのパウロすら<どう祈るべきか知らない>のです。ただこの文章は続きます。「霊自らが言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださるからです。」(26節)
思えば、ふと自分自身が祈りを忘れている。深く悩んで心を神に向けることができない。天を見つめるのでなく、うつむいて自分の非力を嘆いてしまう。祈りを発せなくなってしまう。言葉としては、祈っているかもしれないけれど、実は魂の奥底では<どう祈るべきかを知らない>・・・そうした存在であることを思い知らされるのではないでしょうか。でもそれだけではない。
<霊も弱い私たちを助けてくださいます。>
「御霊が」「ことばにならないうめき」をもって「とりなしてくださる」。聖霊は、祈ろうとしても、祈れない私たちのあるがままの姿を知って、それでも弱さを持つ私たちの側に身をおいて、とりなしていてくださる。いわば神の霊が総力を挙げて私たちを助けるために立ち上がってくださるのです。

そして27節「人の心を見抜く方は霊の思いがなんであるかを知っておられます。霊は神のみこころに従って聖なるものたちのためにとりなしてくださるからです。神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには万事が益となるように共に働く」

これは聖書の中でも使徒としての確信にあふれた私たちの心を明るく照らす慰めの言葉です。

人の人間性が総崩れしそうなときに、神は状況を逆転させるのです。人間にはもう限界だとしか思えないときはあるのだと思います、それでも、「しかし」は生きています。神を愛する人々には、その厳しい状況にもかかわらずその慰めのうちにつなげ、救ってくださる方が。

この人生の中で今後は平穏無事だけが起こるわけではないかもしれない。試練の中で言葉を失ってしまうことが起こるかもしれない。しかし神を愛する人には不思議な神の御手が届くのです。神の救いの御手は神の気紛れや状況に左右されない。

(2021年08月22日 礼拝メッセージ)

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