神の愛に生かされ

ローマの信徒への手紙 12:9-21

先ほど呼んでいただいたローマ12章10節で、使徒パウロは「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬を持って互いに相手をすぐれたものと思いなさい。」と語っています。ここに兄弟愛と言う言葉が出てきます。兄弟愛と神の愛は当然つながっているものです。兄弟愛と言う言葉はギリシャ語で<フィラデルフィア>です。フィルは愛、アデルフォスは兄弟で、合わせると兄弟愛というギリシャ語になります。フィラデルフィアと聞けば、アメリカのペンシルヴァニア州の町で、1776年にアメリカの独立宣言文が発効された町として知られています。この町をフィラデルフィアと命名したのはウイリアム・ペンという人です。ペンシルヴァニア州はウイリアム・ペンからとられたのです。何十年も前に読んだ小さなアメリカ史に、建国にまつわる大切な人物として書かれていました。生まれたばかりの若いアメリカは極めて理想主義的でした。当時イギリスでは産業革がスタートしましたが、農民は土地を奪われ、子供たちも工場で長時間労働を強いられ、労働者の権利は未熟でした。そこでウィリアム・ペンをはじめとするクエイカークリスチャンたちはペンシルベニア植民地を建設し、ここに兄弟愛が実現する理想的な町を作ろうと志したのです。周辺の点在していたインディアン居留地とも、お互い武器をもって決して戦わないと約束しあい、その後もクエイカーたちは徴兵されても部器をとらない、戦わない姿勢をアメリカ軍の中で貫き通したといわれます。またイギリスに残ったクエイカーは18世紀以降盛んになった黒人奴隷貿易禁止運動を起こし1807年に法制化したことでも知られています。

マルコ福音書14章に有名なナルドの香油のエピソードが書かれています。イエスの十字架の直前にベタニアで一人の女性が高価なナルドの香油を石膏のつぼに入れて持ってきて、主イエスの頭に注ぎかけた。ナルドの香油は今でもきわめて高価な香油です。貧しいベタニアの女性がどのようにしてつぼに入れるほどのナルドの香油を手に入れたのか、さぞ大変なことだったはずです。当然、そこにいた男達はそれを見て怒ったのです。それだけの香油があれば、貧しい人に施すべきだろう。しかし主イエスは「この女は私の葬りの準備をしてくれたのだ。」として人々をたしなめます。

彼女は主イエスの許しを経験していたのです。ですから回りのすべての人々が計算づくであったときに、全く計算しないで全財産以上のナルドの香油を惜しみなく注いだのです。この無償の行為、無償の愛は、主イエスによる無償の愛に応えたものだったのです。無償の愛で愛されたから、無償の愛をもって応えられえたのです。

もし人に双方向の愛が成立するとしたら、それは計算づくでは成り立たないのです。意図してできることではない。

<アガペー>はそこで<フィラデルフィアー人間愛>と触れ合うことが出来るのです。<アガペー>に根ざしてこそ<フィラデルフィア>が立ち上がります。言葉としては分かります。しかし現実の<フィラデルフィア>に兄弟愛は実現しているでしょうか。たぶんそうではありません。いや世界のどこにも<フィラデルフィア>は実現してはいない。

10-11節、兄弟愛と、相手への尊敬をもって、怠ることなく主に仕える。

私たちにあるのは、神へのさまざまな要求です。「神がこうしてくれたら、仕えるのに、神さまは私に顔を向けてくれない」。自分が仕えることはまったく問題にしないのです。しかしローマ14:18「このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ人々に信頼されます。」

このローマ12章も、山上の説教も、十戒もですが、これが一つの信仰の課題、チェックリストとして受け止めるなら、わたしたちにはとても到達不可能な山頂のように感じます。しかし聖書が語りかけるのは、課題とか宿題ではありません。全体に語られるのは<福音>です。「イエスは福音をのべ伝えた。」(マタイ4:23-25)と山上の説教の冒頭に述べられます。多くの病人が癒され悪霊・てんかん・中風のものがいやされるなかに、イエスの言葉は9つの幸いが述べられます。ただ<幸いである>から始まります。ルカ6:20では<貧しいものは幸いである>。貧しいものは幸いであるはずがないのです。ではなぜ幸いなのか。キリスト者だからです。こういう律法を守ったら幸せになると言うことではありません。将来こうなるから幸いなのだ、でもありません。

今ここでキリスト者だから、こうして神の御前に出ているから、喜んで神の御心のために生きてゆこう。そう志すなら、キリストの福音は現実を作り上げていくのです。この可能性を信じるなら、現在は可能性に包まれるのです。エレミアスというドイツの新約学者が、山上の説教は神の国に入る条件ではない。神の国に生きるものの可能性を示すのだといいます。福音は可能性を生み出すのです。福音は人に奇跡をもたらすのです。これを生きないわけにはいかないのです。

神からの働きかけはすでにあなたにあるのです。働きかけを生かして、今を変えて、明日を作り上げるのか、それとも背を向けてしまうのかは、私の、あなたの決断一つなのです。

今日は8月15日でもありますが1945年8月2日に行われた八王子空襲にも参加した元軍人で、戦後はアラバマ州知事を務めたジョージ・ウオーレスという政治家の回心の物語をお話しさせていただきます。この人は1960年代アメリカで、徹底した人種差別主義者として知られた政治指導者でした。当時のアメリカではレストランも、劇場も、コービーショップも白人と黒人では入り口も別でした。大学もアラバマ州立大学に黒人の入学は認めなかった。1963年に男子と女子の二人の黒人学生が入学を申請してきました。当時のケネディ大統領の弟、ロバートケネディ司法長官までが介入して二人の学生が入学を許可されたという事件までが引き起こされた。ジョージ・ウオーレスは狂信的なまでの人種差別、人種隔離主義者でした。

1965年アラバマ州セルマからモントゴメリー非暴力デモに対して、催涙ガス、警棒、鞭などありとあらゆる暴力が加えられ、世界中にその様子が伝えられた。その後中で狙撃されるなどの不幸もあり政界から去った。そして晩年病を得て車イス生活の中でキリスト教信仰に目覚め、自身が命じて行われた血の日曜日事件30周年式典に出席し、深く謝罪し黒人指導者たちと和解した。

(2021年08月15日 礼拝メッセージ)

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