苦難をも喜ぶ

第2コリント1章8-11節

コリントはパウロが力を入れて伝道した教会のひとつです。コリントといえば古代において大変栄えた商業都市であるといわれ、古代オリンピアのヘラ神殿があったことで、オリンピックの聖火の点火式がここで行われるとか。ハインリッヒ・シュリーマンが黄金の仮面を見つけたのも、このコリントだったと伝えられてます。裕福な地方都市で道徳的問題を抱えていた町にあった教会。教会もそうした社会的雰囲気そのものであったのです。その背後には孤独とか、空しさが充満しているからこそ、キリストの福音が必要だった。

教会もその始まりはユダヤ人だけが集うところでした。異邦人には教会のドアは閉ざされていました。でもそれは主イエスの言われてきたこととは明らかに違うことです。やがて誤りは誤りとして修正しながら教会のドアは異邦人に開かれてゆきます。やがてくすしい神の御意思でパウロが回心して、パウロによる第二次伝行旅行が企てられながら多くの異邦人教会が生まれ、ユダヤ人の心の中では、抵抗感と反発を感じつつ、異邦人とユダヤ人は「兄弟として呼び合い、彼らは神を父と呼び合うキリスト者として向かい合うこと」としたのです。
パウロは言います。「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。あなたがたは神に選ばれ、聖なるものとされ、愛されているのですから、憐みの心、慈愛と謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(コロサイ3:10-12)

今日の聖書はそのコリント教会に、分裂、仲たがい、口語訳では分争<内部抗争>があったというのです。だから「心をひとつにし、思いをひとつにして、堅く結び合いなさい。」(コロサイ3:9-11)と勧められています。これは、言われることはまったくそのとおりなのですが、言い方や、語られる状況を無視すると怖いことになります。たとえば第一次世界大戦開始時、全のドイツの教会は、この戦争は聖戦であると断定し、全面的に賛成、協力しました。その上、反戦の立場に立った人々を糾弾しました。文学者のヘルマン・ヘッセはそれが理由で裏切り者、売国奴という汚名を着せられて、アルプスの南側のイタリアに移り住んだのです。

コリントの教会は、パウロが次なる宣教のためコリントを去った後、さまざまな問題に直面しました。第一は当然指導者をめぐる愚かしい分裂<パウロ派、アポロ派、ペトロ派、キリスト派>‥四分五列に教会は分裂して、さらにはコリントの世俗主義の侵入、異教的な思想や過激なユダヤ主義を持ち込む人々、またパウロの福音を曲げ、悪意に満ちたデマを流す者もいました。中には獄中生活を強いられてたパウロを見て喜ぶ人々もいました。しかしパウロはどんなに冷たい仕打ちを受けても彼ら教会員を愛しました。彼らの回復のためにはどんなこともしました。パウロはコリントの手紙1を書き、テモテに続いてテトスをもコリントに派遣しました。

「わたしは苦悩と憂いにみちた心で、涙ながらに手紙を書きました。それはあなた方を悲しませるためではなく、わたしがあなた方に対して懐いている溢れんばかりの愛を知ってもらうためでした。」(聖書協会共同訳2コリント2:4)

パウロは8節以下に次のように書き送りました。「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っておいてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫され、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。」
パウロの宣教の場における苦難。パウロは神からの死の宣言と感じとられる危機。いわば正常なパウロは切れてしまったほどの困難と直面したのです。

ここで展開しているのは神の御心であり、神の宣教なのです。パウロの目にさえ大いなる失望にしか見えなかった。神の目には一人のマケドニア人の叫びと、その声に従って行われたフィリピの教会の宣教、そしてそれゆえに行われたパウロとシラスのむち打ちと投獄は、3つの出来事であると同時に一つの線で結ばれた神の勝利の出来事だったということでした。

フィリピの牢獄に投獄されたパウロとシラスは獄舎の一番奥の牢にいれられた。ふたりは鞭で打たれ足枷をかけられた身で祈りをはじめた。すると怒号で喚いたはずの牢で、囚人たち全員がパウロとシラスの賛美に聞き入っていた。<聞き入っていた>とは<ただ聞いていた>というのではありません。<耳を傾けて聞いていた><注意深く聞いていた>ということです。ここに集められていた人々は、自分から神の言葉に耳を傾ける人々ではなかった。讃美歌を喜ぶ人ではなかった。殺人、強盗を働く人たちでした。坂道を転がるように悪事にのめりこむ人々でした。ところが生まれてはじめて、神の言葉にふれて、併せて祈りとみ言葉に触れて、一心にこれに気持ちを集中させているのです。この人たちの心が、パウロとシラスの祈り、賛美、神の言葉で変わり始めていたのです。

そしてつぎに、そこに大地震が起こった。これは神によるものでしょうか。牢の土台が大きくゆすぶられた。牢の戸が開いた。すべての囚人の鎖も外れた。そうなると、囚人たちの次の行動は、脱獄しかありません。たとえ再び捕まっても、危険を避けるために逃亡したと言えば立派な言い訳になります。逃げ出して当然です。ところが、誰一人そこから逃げ出さなかった。つまり囚人たちの心がすっかり変わっていたからです。彼らは犯罪者として残りの生涯を生きるのではなく、全うな歩みをして、パウロと共に生きようとしたのです。

たぶん地下にあっただろうこの牢屋は、パウロの語る福音をもっとも必要としている人々がいたのです。神様はそこにパウロたちを送り込まれたのです。地下の牢屋は、神の福音が届かない所どころか、もっとも光り輝く所だったのです。さらにこの恐ろしい地震騒ぎですべての囚人が脱獄可能になったが、看守は囚人たちが脱獄せずに平静を保っていたことに驚いた。あり得ないことがここに起こったことを知った。一瞬にしてこの荒くれを変えるものは神しか考えられない。看守はパウロとシラスの前にひれ伏して言った。
「『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか?』二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:30b-31)
看守は真夜中であったが二人を自宅に連れて行ってパウロとシラスの打ち傷を洗ってやり、自分も家族も皆全員すぐに洗礼を受けた。

わたしたちの周りには、「これは神の導きには見えない!!」という事柄は多いのです。でも、じつはそここそ、神が導く現場かもしれないのです。起こってくることは、わたしたちの望む状況とは正反対の牢獄であるかもしれません。信じる心、賛美と信仰と、神を愛する心を、熱く持ち続けよう。

2023年4月23日 礼拝メッセージより

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