キリストを信じる

フィリピの信徒への手紙 3:1-10

教会というところは、人が導かれて、何よりも人の心が変えられて、生き方が変わるところだと思います。教会の言葉で回心(かいしん)といいます。誰よりも大きく人生を変えられた人が、この手紙を書いたパウロでした。極端な、ユダヤ教原理主義者として、キリスト教会を根絶やしにしようと、キリスト者の弾圧、迫害に生きていたその人が、復活のイエスキリストに出会って、回心したのです。そんな心境になろうとは、その瞬間を迎えるまで想像すらできないことだっただろう。もちろんパウロほどの人物なら、女子供の区別なく投獄、殺戮することに疑問を感じないはずは無かったと思わないことも無いが、逆に、そうした感情を封印することも人間にはできるということもあります。
とにかく、かつてパウロは危険な迫害者でした。その人が、教会にとっては無くてはならないキリストの使徒として、宣教者として、神学者として教会の基礎を作り上げたのです。回心は人がキリスト者としてまず重んずべき信仰の出発点です。

こうして伝道をしていると由木教会でも、過去にまことに劇的な回心をされたかたがたを思い起こすことができます。でも外見的には劇的に見えなくても、心の中では大きな変化を経験される方々はたくさんおられます。人はだれでも完全であるはずが無い。自分の問題性に気づきながら、そうした自分をどうすることもできない。明日こそ、来年こそと思いながら、少しも自己改革ができない。あり地獄の中にいるように、少しも現状から這い出せないでいる。今日は昨日の続きでしかない。明日の自分も知れている。少しも自分を肯定的に受け止められないでいる。でも、そういう自分に、立ち直る期待をかけて、変えられた何人もの人々がいる。その事実に目が開かれたとき、立ち直りのきっかけをつかむ。
人はきっかけさえあれば結構やり直せるものです。そうしてできなかったことができるようになる。それは自分の能力や意志の強さとは別の力で、われわれを生かしてくださる神を見上げることで、第一歩が踏み出せるようになる。そして本来われわれに備わっている力が発揮されるのです。教会とはそうした人々の集まりです。教会は過去に陰のある人が、喜ばしく迎えられるところで無ければならないと思います。こうした物語は少なくありません。

明治時代に大変尊敬と高名をはせたホーリネスの伝道者がいました。好地由太郎という名の伝道者です。1865年(慶応元年―まだ江戸時代です)千葉県生まれです。10歳のとき、母がなくなり父親の借金のために売られるように農家に引き取られ、14歳まで奴隷労働のようにこき使われ14歳でやっと解放され、今度は優しい女主人がやりくりしている神田の呉服店に勤め始めたところでした。17歳のとき1882年(明治15年)魔が指して、自分の勤めていた呉服屋に泥棒に入り、それを女主人に見つかって、彼女を殺しその上、家に放火した。彼はすぐにつかまり、未成年のゆえに無期懲役を宣告されます。由太郎は鍜治橋の集治館(刑務所)に収容された時聖書を差し入れられた。けれど字が読めなかったのでそれはそのままほおっておかれた。5年後脱走を企て再び捕まり、今度は最果ての北海道空知の集治館送りになります。
1889年1月2日、聖書を「とりて読め」「とりて読め」との声を聴くという神秘的体験をします。そこから由太郎の求道生活が始まり、読み書きも覚え、有名な留岡幸助の助けもあり模範囚としてなんと1904年に晴れて釈放されるのです。そこから次々と数多くの人々が由太郎の感化を受けて洗礼を受けました。中には渋沢栄一と肩を並べるほど有名な、今でいえば日銀総裁の職にあった森村市左衛門という人も由太郎から洗礼を授けられて、この方は生涯好地由太郎を尊敬しました。

ただ好地由太郎の人生はわかりやすい。ひどい環境の中で奴隷のように働かされて身を落として生きていた人が、神の圧倒的な奇蹟に出会って回心してすっかり変えられた。けれどパウロの場合、ここではパウロは理想的なユダヤ教徒であり、なんら人々から爪弾きされるようなものではなかったと胸を張るのです。世的な格付けからいえば、パウロは信仰的なエリートの家柄、だれよりも熱心なユダヤ教徒、社会的な格付けはAA(ダブルA)でした。しかし他人との格付けではダブルAでも、そうした自分が、かつての輝きに満ちていたそうした価値が、塵・芥に見えるほどのキリストという価値に生きているのです。回心をするのは社会からつまはじきされたり、過去にかげりを持っている人はもちろんですが、一見そう見えない、回心の必要など全く見えないまともそうに見える人こそ、回心が必要なのです。パウロはかつても自信家で輝いていた。その自分の生き方に誇りを持ち、自信を持ち続けていけるなら結構なこと。だから自分は信仰など必要ないという人は多くいます。傍目には自信に満ちて人生を送っている人は少なくありません。人はどこに自身を見出すのか。他人との比較です。

パウロは、ほんとうに内心の問題に気づき始めていました。他人と較べて、少しマシであっても、依然として自分が救われるべき存在なのは、少しも変わらない。罪にまみれた人間を命がけで、十字架についてでも、罪の泥沼に入り込んでも救い出す神の愛には、こころの汚れ方が、黒ずみのランクがましとか、浅いということは問題ではなかったのです。

私たちは他人が私をどう見ているかが気になります。自分は少しマシなほうだから、全面的に神の前に出る必要は無いと、私たちは考えてしまいます。回心だの悔い改めはもう済んだこと。洗礼を受けた我々は清い神の民なのだ。
本当にそうでしょうか。
マルチンルターはヴィッテンベルクの城教会に95か条の提題をくぎで打ちました。その第一条には「私達の主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』といわれたとき,彼は信徒の全生涯が悔い改めであることを望まれたのである」(第1条)とあります。

黙示録3章14-22

(2020年10月18日 礼拝メッセージ)

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