エウティコ、生き返る

使徒言行録 20章7-12節

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本日の聖書の舞台はトロアスという場所です。今でいうトルコ。ヨーロッパを隔てる海峡の向こう側は、ギリシャです。これに先立つ数年前、パウロはやはりここトロアスにいました。パウロは海峡を越えてヨーロッパにキリスト教を伝える意向は、その時は全く持っていませんでした。あのエルサレム会議で福音は世界に開かれていると主張したグループも、いざそれ実行する段になると困難を覚えるのでしょうか。福音はユダヤ人のもので、キリスト教がユダヤの国籍、文化を超えていくものという考えは、それ以前、教会にはありませんでした。しかしある夜、そのトロアスでパウロは夢を見たのです。「マケドニアに福音を伝えてほしい」。青年がパウロの夢に訴えたのです。
この頃、小アジアの伝道活動が、どういうわけかすべての道がふさがれていました。結局パウロはトロアスから船出してサモトラケ、ネアポリスを経て、マケドニア最大の都市フィリピでヨーロッパ最初の伝道を開始したのです。これがヨーロッパのその後の歴史を左右する大きな影響を与えることになったのです。福音はギリシャの中心アテネまで伸び、教会の中心は保守的なエルサレム教会から世界宣教を目指すヘレニストーギリシャ語を話すユダヤ人と、非ユダヤ人の多いアンテオケの教会に移っていました。そしていまパウロは再び、トロアスに移ってきたのです。
当時はまだイスラムもありませんから、この辺はエーゲ海に面してギリシャもトルコもなかったでしょう。
(この周辺をすでに訪ねた人々もおられるでしょうが、よく観光案内などで真っ青なエーゲ海と空に挟まれて、真っ白な家が点々と建てられている写真をみます。)
男たちは昼間の漁から解放されて、三々五々、教会にしていた3階建ての家に集まって来るのです。週の初めの日です。現代ですと日曜日。でもキリスト者にとっては安息日の翌日です。日曜日はキリスト教がローマ帝国の中で確立する中で、キリスト御復活の記念の日として、教会が安息の日として定められたものでした。ですから教会の歴史が始まったばかりのときは、労働の日です。礼拝は仕事が済んでから行われます。
夕食をともにしながら、主の晩餐を祝ったのです。パンとワインと、ご馳走に恵まれるひと時だったでしょう。このときの食事と礼拝は、いつもとは趣が違っていたでしょう。つまり偉大なパウロ先生が訪問したのです。ますます活動が拡大する多忙なパウロにとって、記念すべき伝道人生の転機となった懐かしいトロアス教会にも、簡単に訪ねることはできなくなっていました。
トロアス滞在は7日間でした(6節)。そして翌日・月曜日にはここを出発しなくてはならない。すると主日礼拝としては、この礼拝こそが唯一の集会と考えられますから、教会の人々は、この説教を楽しみにしたでしょう。そしてパウロの話は熱を帯びていったのです。パウロの説教は夜中まで続き(7節)、さらにまたパンを裂き、夜明けまで語り続けたのです(11節)。

ここにエウティコという青年が登場します。聖書には無名の人物がしばしば登場します。サマリアの女といわれる人も、主イエスに癒された人々も名前が記されることは希です。この人は名前が告げられます。それも、礼拝の最中で居眠りをした最初の人物として記録されているのです。よほどこの一件で有名になってしまった人物なのでしょう。礼拝で居眠りをした経験は誰にもあることでしょう。寝ているように見えても、耳では聞こえているというようなこともあります。
エウティコは昼間の肉体労働で疲れ果てていたのかもしれない。彼は窓に腰をかけていた(9節)。初代教会の礼拝は、リラックスした、緊張を強いられない礼拝のスタイルだったのかと思われます。少しワインを飲みすぎたのかもしれない。新鮮な海から吹き渡る風に当たりたかったのかもしれない。部屋の中のろうそくが熱く感じていたのかもしれない。彼にドッと眠気が押し寄せた。その瞬間、彼はドサッと三階から下に落ちたのです。人々がびっくりして下に飛んでいくと、彼はもう死んでいたといいます。デモなんかはっきりしない。パウロは彼を抱きかかえて、「騒ぐな、まだ生きている。」と言ったのです。

 パウロだからこのエウティコを救うことができたと読むこともできるでしょう。でもパウロが直接言うように、死んでいたのではなかったかもしれない。はっきりしているのは、彼はこの重大な事故にもかかわらず死ななかった。彼が戻ってからの礼拝は、彼の無事を感謝する喜びの礼拝に移っていったことでしょう。もう一度パン裂きが行われ、ワインが振舞われ、祈りがされ、パウロの励ましが語られた。
いつどんなときでも神の守りがあるとは言いません。でも神は故無く人生を終わらせることはないのです。人生は深く、重い意味を持っています。人生には神の慰めと救いが必ず宿るのです。

エウティコの居眠りがなければ、こういう記事が使徒言行録に取り上げられることはなかったでしょう。居眠りを誘う説教者に非があるのかもしれない。しかしここにはさらに根本的な現実があります。居眠りをするくらいなら教会に来るな…というのは間違っています。礼拝で居眠りをしてもいいから、礼拝をすべきなのです。疲れた体、病んだ体でも、教会に身をおいて御言葉を聞いてもよいのです。居眠りをしていても、夢見心地に聞こえてくる神の言葉はあるでしょう。だから、居眠りしそうだから教会に行かない…というのも間違っています。礼拝の心とは、一つの決断から始まります。つまりこれは、自分の生涯をかけて神とともに生きる心構えです。そこから神の創造の業としての日常が築き上げられるのです。

2023年7月9日 礼拝メッセージより

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