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やさしさに生きる

信仰者という存在は<優しさをもつひとびと>という漠然とした思いが一般の人にはあるように思います。ですが実際に見聞きする出来事に触れると必ずしもそうでない一面があります。たとえばイスラムでいえばスンニ派とシーア派の対立やキリスト教においてもながく続けられてき...

はっきり見えたアルプスの山

「『今年、ご両親来ないの?』ってオーナーが言ってるよ」娘の電話で昨年の9月の出来事が思い出されました。9月7日、私たち夫婦はトリノ近郊のトレイーゾのリストランテで働いている娘を訪ねるべく最寄駅アルバに向かっていました。列車にゆられながら前日の日曜日での出来...

信仰に生きる

主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに生かせてください。イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧りみる者は、神の国にふさわしくない。」といわれた。 ルカ9:61-62 牛や馬に鋤を引かせて、耕作をする姿など今の日本ではどこにも見られな...

逆転

ひとはよいことでも、悪事であっても、何かを始めるについて、ことの正当化を計るものです。それが犯罪的な戦争や個人の万引き行為であっても、いちおうの理屈があります。逆からいえば、個人でも、国家でも、そこに何らかの論理構成ができなければ、一歩も前進することが出来...

生かされているので

「わたしたち人間は、生きているのではなく、生かされているのだ。」一般的にもそうしばしば言われますし、無論聖書もそうわたしたちに語っていると思います。そこには人を生かす偉大な存在である神なり、宗教的な考えが前提にされていると思えます。だからこそひとの固有な生...

信仰に生きる

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。 ローマ12:1 8月にはいりました。今年の7月の天候は例年とは違いました。例年の7月の模様は20...

名乗らぬ人に向かって

教会に身をおいていると、様々な電話がかかってきます。時折、相手は名前を告げないで、教会やキリスト教信仰について、たずねてくる人がいます。潜在的な求道者ですから、出来るだけ丁寧な応答をすることにしています。見ず知らずの教会に電話するのですから、それなりの決断...

重荷を負いつつ

人は心の中では、自分の存在感を確かめたいという基本的な欲求があります。けれど、日々の日常生活の中で、<自分は他人から必要とされている人間だ>とか、<なにがしかの達成感>を感じ取れるひとは、たぶん多くはないでしょう。たいがいの人は<自分はたいそうなことをやっ...

心の在り処

まずは、ロシアの作家オセーエワの童話より。 「一匹の犬が体を前にかがめて、はげしくほえています。そのすぐ鼻先に、垣根にピタリと体を寄せて、一匹の小さな子猫が毛を逆立てて震えています。かっーと口を開けて、ニャーオ、ニャーオと鳴いています。すぐそばに二人の男の...

主に、たち帰る

立ち帰れ、あなたの神、主のもとへ。あなたは咎(とが)につまずき、悪の中にいる。・・・ 「すべての悪を取り去り 恵みをお与えください。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを 再びわたしたちの神とは呼びません。」 ホセア書14:2-4 預言...