困難に直面して
しばしばコトがうまくいかなかったり、気持ちが落ち込んだときに、聴きたくなるのはベートーヴェンの作品です。底しれぬような孤独や絶望、葛藤や怒りを踏まえてこそ、思い悩む心に、勇気が与えられます。音楽家や画家という、本来、時代を超えるほどの才能あふれた人々が、最初からその才能が認知され、世的な喝采と成功をおさめていたら、心打つ作品を生み出せたのかどうか、わたしには疑問です。ベートーヴェンのように、最後にたどり着いた心の平安や勝利は、聴くものに深い納得や感動を与えるとともに、芸術家によっては、深い悩みの果てに、心病んだ人々も少なくないことです。しかしそうして力尽き果てるまでに、人生を燃焼させた人々の軌跡は、跡をたどるわれわれを勇気づけないはずがありません。たぶん同様に、演奏する側にも、それなりの別の深い経験が、踏まえられているのかもしれません。
ミーシャ・マイスキーというロシア出身のチェリストがいます。マイスキーは1948年生まれの旧ソ連ラトビア出身のユダヤ系ロシア人です。ロシアにおいてもユダヤ人は差別と迫害の歴史があります。1969年に姉がイスラエルに亡命した結果、マイスキーは強制収容所に送られ18か月にわたって、毎日10トンのセメントをシャベルで運ぶ強制労働を課せられたことがあります。やがて強制収容所から解放されたとき、彼は自ら進んで、心を病んだように見せかけ精神病院に入院します。そしてやがてイスラエル移住を勝ち取るのです。その後1973年にガスパル・カサード国際チェロコンクール(昨年八王子で行われた!)に優勝します。
そうした過去の故でしょうか、この人の演奏には聴くものに不思議な力を与えます。ただユダヤ人であるという理由で、迫害され、犯罪がでっち上げられ、強制収容所で厳しい労働を課せられるそうした体制。演奏家として全く理不尽な扱いを強要する社会。その苦難をこえて、魂をふるわすほどの演奏に実を結ぶのです。
強制収容所に、精神病院。かつてのソ連で、反体制派とレッテルを張られた人々が追いやられたところです。からだと精神を破壊されてしまった人々も大勢いたはずなのに、マイスキーは耐え抜き、この経験をプラスに変えていったのでしょう。やはり人生に無駄な経験などないといえるのかもしれません。以下は使徒パウロの言葉です。
<主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない 1コリント15:58>
<わたしは、自分が走ったことは無駄でなく、労苦したことも無駄でなかった。フィリピ2:16>
<私がそちらに行ったことは無駄ではありませんでした。無駄でなかったどころか・・・1テサロニケ2:2>
否定的で、無意味でしかないこと(無駄としか思えない経験)が人生には避けられないのです。通常の人間であれば心くじけます。生への意欲を失なわせます。自らの運命を悲しみ呪うでしょう。その否定的な感情から脱出することができず、気持ちが高ぶるごとに、他人にそのことを繰り返して訴えるのです。そしてそこで人生は停滞します。
でもそこに何らかの神の意図を見出そうとする人は、無駄・不幸にしか見えない出来事を、次ぎなるステップのジャンプ台に変えるのです。人生は全く違った顔を見せるのです。その勇気が他人を奮い立たせることにつながるのです。何らかの希望を見出して今日を、明日を生きられるのかどうか、それは人生のありかたを大きく左右します。
(2010年06月27日 週報より)