赦し、赦されるということ
私たちは様々な人の死に直面させられます。新聞や、テレビの報道で伝えられる様々な事件絡みの死も、たとえそれがわが身とは無縁の死であっても、それをついわが身に置き換えて、感情移入することが最近多くなりました。人生には少しも熟達出来ないのに、年は遠慮なくすすんで、涙もろくなっていきます。かつてこんな事件があったのを覚えていますか。歌謡曲の歌手をしていた男が、人気にあぐらをかいて、妻子ある身でありながらファンの女性をだまして、彼女に結婚の空約束をし、顔の整形を要求し、風俗につとめさせ、数千万円を貢がせて、あげくの果てにその女性を殺害したことがありました。
男と女の関係は一対一ですが、双方はじつは家族という太い絆でつながれる関わりがあります。人は決して独りであるはずがありません。簡単な事件でした。たちまち犯人が判明し、彼は捕らえられました。初犯で、深い反省の意志があるということでした。数年して、男は模範囚として刑期をつとめ、仮出獄したのです。私にはその後の事が忘れられません。彼は被害者の女性の遺族に赦しを乞うて、墓参することを遺族に願ったのです。被害女性の父親を前に、合掌し、這いつくばる元歌手。当惑し、悲しみに暮れる父親の姿が伝えられていました。赦されたいという加害者の気持ちが分からないではありません。
けれど何歳であろうと最愛の娘を踏みつけられ、捨てられ、殺された父親の思いは、はるかに複雑です。赦されるということは、法的な刑期を終了したことで果たされることではないし、加害者が<赦して欲しい>と求めることさえ、はたして可能なのか、とさえ思ったことです。加害者が赦して欲しいと言い出した時、父親は無念に無念を重ねて、<赦してやるよ>と言いうるものなのでしょうか。私たちはキリスト者だから、当然、そうすべきものなのでしょうか。赦すことなど、本当は不可能に近いこと。罪を犯した人間が、赦しを求めることさえ、被害者には残酷なことです。
オランダ人でコーリ・テン・ブームさんは第二次世界大戦中に、アムステルダムの自宅を提供して、ユダヤ人救出に力をつくした女性です。<「わが隠れ家」の著者-いのちのことば社刊> ユダや救出活動は、やがてゲシュタポの知る所となり、この人はラベンスブルック強制収容所に送られました。やがてガス室送りになる1週間前に、書類上の誤りから奇跡的に釈放されたと言う経験を持ちます。戦後はドイツにしばしばでかけ、和解とゆるしにつとめたのです。
ある日、ミュンヒェンの教会で講演を終えた時、聴衆の一人の男がニコニコして彼女のところに来てこう言ったそうです。「私はイエス様に救われて、罪を許していただきました。」実は彼はラベンスブルック強制収容所で収容者に凶暴な暴力をふるっていた恐るべき元看守でした。許されましたと、微笑みながら握手の手を伸ばす元看守。顔では微笑んでも、心のなかでは、恐怖と涙をやっとこらえているコーリさん。たとえ国家に命じられて行なったこととはいえ、彼の行動を通し数千名もの人々が殺害された事実は決して洗い流すことは出来ないのです。赦されると言うことは償いの思いに生きることだと思います。赦された原事実を見つめることではないでしょうか。
私たちはキリストの赦しを信じます。十字架の原事実。そこにも加害者と被害者がいます。人間は罪人です。一人の、人間としての弱さを持つだけではありません。ある状況においては、日本人であること、白人であること、ドイツ人であること自体が、弱者とされた人々を踏み付ける立場に身をおくことになり得るでしょう。それは個人の善良さとは何の関係もありません。しかもそれは個人では償いきれないほどの途方もない罪の重さを引き起こすのです。それほどのつぐないきれない重さを、キリストは赦してくださったのです。われわれは10万タラントを赦された存在なのです。だからこそ、残された日々を、礼拝や、祈りに心をこめます。
最近、オウム裁判のみならず、自らの行なった犯罪について全く反省も悔いも持たないという人々のことが伝えられます。一方で人間の心はどこまでも、無感覚になりうるのです。
(2006年04月02日 週報より)