見える現実の向こうに

第1テモテ 3章 14~16節

信心の秘められた心理

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この部分が書かれたのは、パウロが一時的にローマの牢獄から解放され、再びエーゲ海地域で伝導活動が許された60年代。だいたい64年から67年頃と注解書には書かれています。64年から67年というのが一つのカギ。パウロがローマで殉教したのは68年ですから、パウロの殉教の時が間近に刻々と迫る時であった。
テモテ一家とパウロの関わりは非常に親密な交わりがあったようです。パウロがデルベからアンティオキアへ行く中間に、リストラというところに行ったのが45年から48年頃。その頃テモテの一家とパウロが出会ったようであります。テモテのお母さんはユダヤ人のクリスチャンであったエウニケという人です。祖母がユダヤ人のクリスチャンであるロイズ。父親はギリシャ人。人種的に混ざり合った、国際的な家族であるということかもしれません。
パウロとバルナバがリストラに入ったときに、人々が熱狂してこの二人を迎えた。
その時にユダヤ人の原理主義者が入り込んで人々を先導して、いったんは人々から神扱いにされたパウロとバルナバでしたけれども、石を投げられてパウロは重傷を負います。命がけで伝道する姿にテモテ一家は非常に心を動かされたようです。

パウロが第二次伝道旅行に出発したのは、だいたい50年頃だと言われます。その時の有様が使徒言行録16章に書いてあります。

1パウロはデルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。2彼はリストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。3パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。

使徒言行録16章1~3節(新共同訳 1987)

非常に微妙で難しい問題が、この伝導の背後にもあったことが分かります。時は、いよいよ異邦人伝導が軌道に乗るというところです。パウロの活動が異邦人に向かって開かれねばならない。一方でユダヤ人の原理主義者を何とか沈めておかなければいけないという配慮も必要で、そうした中でパウロはテモテをなんとかして連れて行きたかった。
ちょうどこの時は教会が小アジア中心に伝導してきた。いよいよ海を渡ってアジア大陸からヨーロッパへ大規模に移動する時であったのです。パウロとテモテはヨーロッパの土を踏んだ最初のキリスト者の一人でした。ここでシラスやルカが伝道旅行に加わっていきます。

テモテのことをパウロは「信仰によるまことの子テモテへ。」(第一テモテ1章2節)と高く評価していた。そしてパウロ書簡を見ていきますと、6通の手紙の挨拶文にパウロの協力者としてのテモテの名前が挙げられています。テモテはパウロにとって、なくてはならない存在になった。やがてテモテに、パウロが大切にしてきたエフェソの教会での働きを委ねていきます。テモテはそこからパウロの最後のエルサレム行きに同行し、ローマで勾留された2年間、行動を共にする。変だと思うでしょうけども、これは緩やかな勾留でしたので、誰かが一緒に住み込むことができた。割とオープンな勾留のあり方であったようです。
テモテの手紙は間を置かず重なるようにテモテに向かって書かれた手紙です。第二テモテ4章1節から6節には、日常の伝導に励むとともに自分の死が身近に迫っていることが書かれています。学者によれば、この直後にパウロはローマで皇帝ネロによって首を切られて殉教死したと書かれています。

14私は間もなくあなたのところに行きたいと思いながら、この手紙を書いてます。15行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。

3章14,15節

特に意味のある言葉だとは思えないような淡々とした書き方です。パウロが投獄から、やがて獄死へと向かわねばならないことが、ごく間近な出来事になっていくということを、こういった言葉で表したのではないかと言われています。
さらに第二テモテ4章に、こういう言葉が書かれています。まさに、「私は殉教の覚悟を決めたのです」と言わんばかりのパウロの言葉です。

6わたし自身は、既にいけにえとして捧げられています。世を去る時が近づきました。7わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。8今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかしわたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

第2テモテ 4章6~8節

人が死に直面するときに、その人の生き方は違った顔を現していく、違った様相を現していく、そんなことを皆さんは感じたことはあるでしょうか。幸い私はキリスト者の人々の最後を見送ってきました。平成な表情をしながら死を受け止めていらっしゃる姿を見て驚かされたことが何度もあります。テモテは、こういう手紙を受け取ってどんなふうに感じたんだろうか。

パウロは心を決めていた。

16信心の秘められた心理は確かに偉大です。すなわち、
キリストは肉において現れ、
〝霊〟において義とされ、
天使たちに見られ、
異邦人の間で宣べ伝えられ、
世界中で信じられ、
栄光のうちに上げられた。

3章16節

こんな心境に人がなれるんだろうかということをまず思います。テモテに、神の家でどう生活すべきかを知るべきだとパウロは言いました。それは信仰の土台である「神を知ること」です。学者パリサイ人のような枝葉についてのこと、条文ではなくて、根本をまず意識することが大切だろうと思います。
これはどうやら当時の賛美歌の節であったらしのです。これがキリスト教が確立された中世ヨーロッパで歌われたのなら何ら不思議もありません。けれども、少なくともパウロから見えるのは、あまりにもお粗末な情景であります。パウロはこの時、重罪犯として厳しく収監されていたのです。ローマの地下牢は寒かったらしい。第2テモテ4章13節では「外套を持ってきてほしい」と頼んでいます。畳数枚ほどの小さな牢で寒さに震えるパウロの現実があります。しかも形成されつつあるいくつかの教会でも、今後どう転んでいくのかわからない、そうした厳しい迫害があった。この時代には信仰から脱落する人々も結構いたのです。

19信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。20その中にはヒメナイとアレクサンドロがいます。わたしは、神を冒涜してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました。

1章19,20節

10デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテアに、テトスはダルマティアに行っているからです。

第二テモテ 4章10節

自分の手元から弟子たちが去っていく。それも明らかに福音から離れる形で脱落していく人々が何人もいたことがあります。その代表がデマスです。きっとパウロは寂しかったと思います。ですけれども、命に関わることですから、とても引き止めることなどできないはず。しかも、かつては大集会を率いていたデマスが信仰を曲げていく、ヒメナイが去って行く。それはもう本当に困難な状況があります。とても天上の事を考える余裕は無いはずです。パウロは教会がここローマに、そして全ヨーロッパに広がっていくことを夢見ていきます。教会は困難を抱えながらパウロの夢を現実のものとしていくのです。

信仰による理想、それは信じることからしか始まらない。パウロの思いは、はるか天上に飛び上がっていきます。神がここにおいでになる。神が私に働きかけてくださる。そう信じること。そこに近づいてみようとする志を立てる。それがなければなんにも始まりません。
犠牲も献身も求められることがあるかもしれない。しかし、それが神によって必ずもたらされるなら、信じないことは愚かです。どれほど現実離れしたものであれ、絶対に実現不可能と見えるものであれ、神がおられることを覚え、力を尽くすことは必要です。キリスト教とはキリストの救いを伝えます。キリスト者はキリストの救いを生きていきます。今は救いの時です。

信じること、祈ることが人間の能力の射程を超えることは、よくあることです。現実の世界でも、それに類することが起こります。もう何年か経ってしまいましたけど、ワールドカップで日本のチームがトーナメントで思いがけない善戦をして、日本中を奮い立たせたことがありました。試合を重ねるごとに強くなるという日本のチーム力が、みるみる積み上がっていった。本来なかった力が発揮できたと言う人がいました。人間にはそうした力があります。だからこそ人には信仰が必要なのです。
今、多くの人は自信を失っています。本来の力さえ発揮できないでいる。かつてマーティン・ルーサー・キング牧師が「I have a dream」と言いました。当時はレストランでも公共の交通機関でも黒人は入れなかった。無理をすると、たちまち逮捕された。「I have a dream」と言いながらキング牧師も、それが実現するのは遥か遠くのことだろうと思っていたのかもしれない。
でも現実の問題の中で、それだけを見つめていればいいのでしょうか?
パウロにとって、ここには2つの現実があります。

  • 暗い寒い独房だけの現実。
  • 信仰によって天地を自由に行き巡る神の現実。

私たちは現実の向こうにある神の可能性に目をやるんでしょうか。その2つのどちらを選ぶんでしょうか。私たちはそういう現実の前に今、立たされているのではないでしょか。

お祈り

神様、パウロの伝導の最後の風景について私たちは思いを馳せました。確かに目の前にある現実は、信仰は諦めることであったり、自信を失ったり、あまりにも大きな現実の力に圧倒されるような、そういう状況が一方にありました。しかし信仰の力によって、そこから飛び上がるという、そういう可能性がそこにはありました。デマスをはじめ、ヒメナイやアレクサンドロも信仰を曲げ脱落していきました。彼らはかつては教会内で大活躍していた人々でありました。しかしパウロは信仰による可能性を深く信じ、深く確信し、天地を自由に行き巡る神の現実に目を置いて歩んで行きました。どうぞ私たちもこのコロナ禍で、明日はどうなっていくのかというような思いがしないわけでもないわけでしたけれども。しかしそうした中で、新たに信仰に立って洗礼を受けよう。そしてあなたの前に新しい信仰の可能性にかけていこう。そうする人たちを一人また一人と加えていってくださっていることを心から感謝をいたします。キリスト教信仰には私たちの力をはるかに超える可能性があります。どうぞ、あなたに励まされ力つけられて、あの困難な状況を歩んでいったパウロと共に、この朝は天上のあなたの力に私たち自身を委ねる、そうしたことを得させてくださることをお願いをいたします。
神様、私たちに力を与えてください。あなたの可能性に活かしてくださいますように心からお願いをいたします。イエス・キリストのお名前によってお祈りをいたします。アーメン。

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