神の祝福を受けつぐ
第1ペトロ3章8-11節
第一ペテロの手紙は共同体における具体的な生活の在り方について、いくつかの勧めをしています。新たに神を信じた人々が、この世の只中に生きながら、この世の人々と全く同じ生活をしてよいというわけではありません。パウロがローマ書の12章2節で「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と述べているとおりです。そこでペトロの手紙の筆者は、昔も、そして今もキリスト者はそのことを日常生活で実践すべきだと要求します。
1970年代に日本でも人気のあった精神科医のポール・トゥルニエさんという方がおりました。むろん大層な愛妻家でいらした方です。何度も日本で講演活動もされていたと思います。あるとき講演会で「夫婦喧嘩をされたことがありますか?」との質問に「当然でしょう」と答えられ、お連れ合いを殴ったことさえあると告白されたそうです。そして友人の牧師のことを話された。
『ある時、別の一組の夫婦が彼のところに話に来た。
「私たちは一度も夫婦間で議論などしたことはありません。」
この言葉を聞いたとき、彼の頭にひらめいたのは
「この人たちは嘘を言っている。でなければ二人のどちらかがもう一人を押潰しているのだ。」』
トゥルニエさんは「大事なことは、諍いがないことではなく、それをどう始末するかにあるのではないか」と結んだそうです。
このペトロの手紙が書かれた初代教会の時代、夫がおり妻がいるという夫婦の形はあったでしょう(でもここでいう夫と妻の関わりは、いわゆるクリスチャンホームではない。まだそうした文化は生まれてなかったでしょうから)。ただ夫が御言葉をまだ信じていない人であっても長い人生の中では何が起こるかは様々です。人生の処し方、表言の積み重ねの中で、未信者だった片方が入信することは大いにあることです。
ここで、教会の結婚式の制約の部分を思い出してほしいのです。二人はそれぞれ「わたしは神の定めに従い、○○を夫(妻)とします。いまより後、神が合わせたもうよき日にも、悪しきにも、あなたを愛し、あなたを守り、死に至るまであなたに誠実をつくします」との宣言がなされます。そこでは新しいことが起こっています。これまでは二人の愛、二人の選択、二人の願い、二人の意思、二人の責任です。けれどこの時、神が二人の結婚を意思されたのです。それ故そこには神の祝福と共に神の命令と約束が込められています。
冒頭のトゥルニエさん、彼は最初から理想の夫ではなかったたようです。むろんクリスチャンホームを理想に描いていたので、朝夕の祈りはモチロン、時折家庭礼拝もした。二人ともなんとなく癒らなくなってしまった結婚生活はうまくいっていると思っていたが、妻は時々爆発することがあり、それは妻の感情の問題だと思っていた。それからだいぶ経ってから友人の勧めにより、神の言葉を聴くために心を沈める黙想を早朝に始めた。最初は何も起こらなかったが、少しづつ聴けるようになった。2週間後、ふとした機会に妻も黙想していることがわかり、二人で大笑いした。依頼夫婦は本当の意味で心を開けるようになった。
私たちは心の中にいろいろな抑えられたもの、開くことのできないものを抱え持っています。それを導き、本当に心を開いて分かち合うことができるようにするのは祈りにおいてではないでしょうか。わたくしは共に祝福を受け継ぐ者として、お互いに相手を見出すことの大切さを思わずにはいられません。本日の御言葉を夫婦や家族という小さな単位から初めて、8-9節を教会共同体への勧めとして、神のみ旨を求めて心を開き合うように導かれたいと祈ります。
2023年7月30日 礼拝メッセージより