希望が見える

イザヤ 9:1-6

コロナで始まった2020年いよいよアドヴェントを迎えています。コロナ感染症は日本においてはますます勢いをもって第3波に入ろうかというところで先週は感染者木曜日570名、土曜日感染者561名と伝えられ、しかも重症者数が2週間で倍増し、流行は危険な水域に達しつつあると朝日新聞は伝えています。医療サイドでは入院病床も逼迫しつつあり、これからの3週間が勝負のときとのこと。一刻も早い収束を祈るばかりです。ますますあわただしさに輪がかかっているようです。

イザヤ書の言葉を理解するのに、まずその時代背景を抜きには考えられません。イザヤ書7章において、すでに南北に分裂したイスラエル国家でしたが、イザヤが身をおいていた南王国ユダは、大国アッシリヤの脅威にさらされるばかりでなく、北イスラエルとシリヤの連合軍が反アッシリヤ同盟に加わらなければ、南ユダを滅ぼすとして軍事行動を起こしてきたのです。

現在の日本もアメリカ兵の犯罪や暴力には手をこまねいて我慢し続けても、中国とは日米同盟で対抗するのか、あるいはアメリカの不興を買っても独自に中国と善隣関係をきづいて、21世紀を作り上げてゆくのか悩ましい問題を抱えていることです。思えば似たような大国に囲まれて歩んだユダ王国の立場に通じるところがあります。

そのときに語られたかの言葉は
7:4「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。この二つは燃え残ってくすぶっているだけのものだ。」
7:9「信じればあなたは確かにされる。」
・・・そして神からインマヌエル預言が与えられたのです。

イザヤ書9章の時代はそれから10年くらい経過したときのことです。この時いよいよ恐れていた軍事大国アッシリヤが北王国に侵略の手を伸ばしてきたのです。北イスラエルの一部がアッシリヤの占領下におかれました。
8:22-9:1「苦難と闇、暗黒と苦悩、くらやみと追放」「闇の中を歩む民、死の影の地に住む民」
という表現からイスラエルの国家全体が、軍事的、政治的圧迫の中で、なすすべのない困難に置かれた一般の市民達の絶望感、暗黒が語られます。

イスラエルは神に選ばれた民、彼らの住むところは神に与えられた約束の地でありながら、残念ながら、今は暴虐的な軍事大国の侵略にさらされているのです。そして、人々はそうなると、「わたしこそあなたがたの神だ」と言われる神への信頼も大きく揺らぎ始めていました。国が壊滅するかもしれない危機の中で、イスラエルがイスラエルとして、神の民として存在し続ける精神の崩壊、国家の崩壊、個々の人格が崩壊する危機が同時に起ころうとしていました。

そうした国民全体に及ぶ精神的危機、むしろ崩壊と言ったほうが良い状況の中で預言者イザヤは、希望の光を指し示すのです。9:1-3、イザヤはすでにことがなったとしてしばしば、これから起ころうとすることを、すでに起こったこととして過去形で表現します。これはその時、現実に起こったことではありません。これから起こる事なのです。でも、これから、このことが確実に起こる。間違いなくこのことが起ころうとするのだ。でも、将来に起こることなのです。でもすでに起こったこととして、言葉を語ります。

預言者イザヤは、新しい王、新しい統治者がこの国におこる。この方(かた)が、全イスラエルを守り、闇から光へ、死から命へとこの国、この民を導いてくださる。それゆえ「死の影の地に住むものの上に、光が輝いた。」(9:1)と語り、2~3節<喜び><楽しみ>が与えられ喜び祝った。3節<ミデアンの日のように> これは士師記の英雄ギデオンがイスラエルの民を襲うミデアン人を抑えてくださったことを指し示しています。当時ミディアン人が略奪の限りを尽くしてイスラエルの人々を苦しめていました。そこで神はギデオンを選びますギデオンは英雄ではありません。普通の人です。しかしわずか300名の兵をもってミディアン人を圧倒します。

同様に神はイスラエルを外国の圧迫から解放してくださる、と語るのです。そしてそれは何の兆し・予兆もないのではなく、一人の嬰児(えいじ)の誕生により、その方が王位につくことによって、現実のこととなると預言されます。

聖書は冒頭にイスラエルの烏合の衆が、最も組織だった世界最強のエジプト軍部隊を打ち破ったことをつたえます

やがてユダの国にお生まれになる救い主は、イザヤはその方は全イスラエル、人類に希望の光を照らし、王でありつつ、助言者、カウンセラーであられる方です。彼は支配し、統治し、危機にあって介入なさり、民一人ひとりに、自己の存在の意味と目的を見出させ、生きることに手助けさえしてくださる方・・・この方がやがてお生まれになる。その結果イスラエルの国が復興し、平和と正義が実現し、神の平和が人々になり、新しい生きかたが始まるのだ・・・イザヤはそう預言したのです。

これはまさにイエスキリストを指さす言葉でした。飼い葉おけの中の御子、山上の説教者、十字架上で苦しみ、復活した救い主です。

イザヤ書の背景にあるイスラエルの暗く困難な時代状況は、今日においても、形を変えて私たちの目の前にあります。冷戦が終わっても、暗闇と死の影が世界のあちこちを覆っています。その上、日本は原発事故のさらなる広がりが人々に恐怖を与えています。息苦しさが日本を覆っています。私たちの惧れや問いをどこに投げかけるべきなのでしょう。その一方で、同時代の救いがたく見えるイスラエルの危機の中で、イザヤはこうべをあげること、そしてあなたがたには wonderful counselor がいる。カウンセラーとしての条件はいろいろあるのでしょうが、まず相手を深く理解でき、語るべき言葉を持っておられることが大切でしょう。
その方は私たちと同じ人間の形をとり、一人の人間として生き、イエスキリストとして出現し、十字架に最期を遂げられた。(ヘブライ2:18)
イエスキリストは信ずるものと共に歩まれるのです。イエスキリストのおられるところに彼の平和と自由と神の国が実現するのです。

(2020年11月29日 礼拝メッセージ)

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