キリストを信じる

フィリピ3章 1-7節

キリストのゆえに損になること

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今日もこの礼拝の後で洗礼式が行われます。こうして3人の方々が洗礼を受けるというような事は多分なかったと思います。新しい仲間を迎えることができるのは大変嬉しい事です。何よりも教会というところは人が導かれて人の心が変えられて生き方が変わるところだと思います。教会の用語で「カイシン」と呼びます。辞書で引けば「改心」が出てくると思いますけれども、教会では「回心」を使います。
誰よりも大きく人生を変えられた人が、この手紙を書いたパウロでした。パウロは極端なユダヤ教の原理主義者と言っていいと思います。キリスト教会を根絶やしにしようと教会の弾圧と迫害に生きていたその人が、復活のキリストに出会ったというのです。自らそう言います。そして彼の考えが一瞬にして変えられた。
彼はダマスカスへ迫害に出かけた。途上の馬上でキリスト者に変えられたのです。誰に言っても信じてもらえないだろうと思う出来事が起こってしまったのです。自分自身でそんな瞬間が来るとは夢にも、想像すらできないことだったと思います。もっとも、パウロほどの知的な人であれば男、女、子供の区別なく投獄する、殺戮することに疑問を感じないはずはなかったと思いますが、逆を言えばパウロをして、そこまで暴力に身を駆り立てる感情を封印することも、人間には可能なのだということでしょうか。

私の父は非常に優しい人でした。1回だけで叩かれたことがありましたけれども、そんなもんです。彼は軍隊で将校でしたけれども、ある時、見回りをしていたら弾薬で居眠りをしている兵隊がいた。その出来事がわかっただけで処罰されなければいけないのだそうですけれども、父は報告しなかった。自分は部下に暴力をふるったことは一度もないということは何度も言っていました。
ですけれども父が所属していたのは宗教弾圧の中心になっていた内務省であります。もちろん部局が違いますからそれは違った世界の出来事だったでしょうけども。場合によっては暴力を加える人たちは沢山いたわけです。

パウロも一時期、教会にとっては危険な迫害者でした。しかしその人が教会にとっては、なくてはならない福音の使者として、キリストの使徒として、宣教者として、神学者として教会の基礎を作り上げたのです。
「回心」
一つの言葉ですけれども回心することはキリスト者としてまず重んずべき信仰の出発点です。こうして牧師として伝導していますと、由木教会でも過去に、誠に劇的な回心をした方々を何人も思い出すことができます。色んなことがあった。
例えば私は今、イヤフォンをしてますけれども、アタリさんという方もイヤホンしてた。聞こえないからですね。でもそのイヤフォンの具合が悪くて説教中に色んな音がするんですね。それで「良いイヤホンはないかしら」みたいな思いがあったわけですけども、ある時、俄然そのイヤフォンが要らなくなった。聞こえるようになった。神様が説教を聞くために耳を解放してくださった。本当なんです。嘘のような話ですけれどもそんなことも起こる。私の身の上には起こりませんでしたけれども…。「不思議だなぁ、そういうこともあるんだなぁ」と、その時、改めて感じました。

人は誰でも完全である人はいない。自分の問題性に気付きながら、そうした自分をどうすることもできないで日々を暮らしている人々は多いと思います。「明日こそ違った自分になりたい」「来年こそ違った自分になりたい。」「自己改革ができるような人間になりたい」という思いをしながら、いわば蟻地獄の中にいるように、少しも現場から這い出せないでいる。今日という日は昨日の続きでしかない。明日の自分という存在も知れているもんだ。少しも自分を肯定的に受け止められないでいる。そういう人々は多いです。
でも、そういう自分に立ち直る期待をかけて、変わっていった何人もの人々がいます。そうした事実に目が開かれたときに、立ち直りのきっかけを掴むのです。人は、きっかけさえできれば、きっかけさえあれば結構をやり直せるものではないでしょうか。そしてできなかったことができるようになる。自分の能力や意志の強さとは別の力で我々を生かしてくださる神を見上げることで第1歩が踏み出せるようになる。そうして本来我々に備わっている力が発揮されてくる。これがキリスト者の生涯ではないでしょうか。
教会とは、そうした人々の集まりです。過去に影のある人々が喜ばしく迎えられるところでなければならないと思います。そうした物語は少なくありません。パウロもそのうちの1人であったかもしれない。

明治時代に大変、尊敬と高名をはせたホーリネスの伝道者がいました。好地由太郎(コウチ ヨシタロウ)という名の伝導者であります。この人、1865年(慶応元年)千葉県生まれです。10歳の時にお母さんが亡くなられたんです。父親によって借金の抵当に、売られるようにして農家に引き取ってもらって、14歳まで奴隷労働のようにこき使われて、やっと解放されて、今度は優しい女主人がやりくりしている神田の呉服店に勤め始めた。3年経って17歳の時、魔が差した。自分が勤めている呉服屋に泥棒に入り、それを女主人に見つかって暴力で彼女を殺した上、家に放火して逃げた。17歳の少年の犯罪ですからすぐに捕まった。そして住んでた所に近い鍛治橋の刑務所(当時は集治艦)に収容されるのです。その時、聖書を差し入れられたんですけれども、彼は字が読めなかったので、そのまま放っておかれた。5年後、脱走を企てて再び捕まって、今度は最果ての北海道の空知(そらち)の刑務所に送られるのです。そして1889年1月2日。新年迎えたからでしょうか、新たな気持ちになった彼は「聖書を取りて読め。取りて読め」という声を聞いたというのです(「取りて読め」というのは、アウグスティヌスがすさんだ生活をしている中で神の声を聞いたという神秘的な経験をしたことが知られています)。こうして彼の求道生活が始まるのです。
読み書きも覚えた。留岡幸助(篤志家)の助けも得て、模範囚として1904年に晴れて釈放された。計算しますと、だいたい40年の間、いわば独房の中で生活をしたのです。しかしその独房の毎日の中で彼は聖書を読んで別人に変わったのです。釈放された何百人もの人々が、この好地由太郎さんの感化を受けて洗礼を受けた。その中には渋沢栄一と肩を並べるほど有名で、今で言えば日銀総裁の職にあった森村市左衛門もいた。この森村市左衛門という人、生涯、好地由太郎先生から洗礼を受けたことを誇りにした。心から尊敬し天国に行ったということが歴史大辞典には書いてあります。
好地由太郎の人生は分かりやすいです。ひどい環境の中で奴隷のように働かされて身を落としていた人が、神の圧倒的な奇蹟に出会い、回心して、すっかり変えられた。

パウロの場合。パウロは理想的なユダヤ教徒でした。何ら人々から爪弾きされるような人ではなかった。信仰的な家庭、信仰深い両親がいたことでしょう。何よりもエリートです。社会的な格付けから言えばAAとかAAAです。そんな社会的な立場の人だったと思います。しかし、格付けではAAでも、自分が背負っていた社会的な地位や立場が塵芥に見えるほど、キリストという価値に生きているのが素晴らしいと語っているのが、フィリピの手紙のこの部分です。
回心する人は、社会から爪弾きされたり、過去に陰りを持っている人が多いと思っている人々がいるかもしれないんですけど、まともそうに見える人ほど実は回心が必要なのです。
パウロはかつても自信家で輝いていた。自分の生き方に誇りを持っていた。それは多いに結構なことです。だから自分は信仰など必要ないという人は多くいるかもしれない。傍目には自信に満ちた人生を送っている人は少なくないかもしれない。人はどこに自分自身を見いだすのか。ひとによってはですけれども、他人との比較っていうのもあるかもしれない。パウロ自身、本当は内心の問題に気づき始めていた。他人と比べて少しマシであったとしても、依然として自分が救われるべき存在なのは少しも変わらない。罪まみれた人間を十字架に掛かってでも、罪の泥沼の中に入り込んででも救い出す神の愛には及ばないんです。自分は、その汚れ方が、黒ずみの仕方が、ランクが、他人よりマシだとか浅いとかは問題ではない。
人によりますけれども、他人が私をどう見ているかが気になっているかもしれない。自分は少しマシな方だから全面的に神の前に出る必要はないと考えている人々もいるかもしれない。
「回心だの悔い改めはもう済んだことだ」
「洗礼を受けた我々は聖い神の民なのだ」
本当にそうでしょうか。
マルチン・ルターは1517年10月31日、ヴィッテンベルクの城教会に95か条の提題を釘で打ちました。その第1条に彼は「悔い改めよ」と問うた。

私たちの大半は放蕩息子のような、好地由太郎のような人生ではないだろうと思います。無論、教会に放蕩息子のような好地由太郎のような人が来たら大歓迎すべきです。大切にしなければならない。しかし世の中の大半の人はそういうところにはいない。特に教会では滅多にそういう人はいないと思います。
クリスチャンになる前のパウロもそうです。家柄も信仰も第一級のファリサイのメンバーでした。何もかも誇れるものばかりの人生でした。彼は人生の成功者だった。見かけはとっても立派です。だからと言うべきでしょうか、いつも他人と競争し、打ち負かすことに喜びを感じていたのかもしれない。他人をランク付けして「自分のほうが立派だ」「自分のほうが教養がある」「自分のほうがマシな人間だ」と思っていたことでしょう。人を愛する人から途方もなく遠かった。神様から遠かったのです。神の目からすれば心は放蕩息子だった。だからでしょうか、無慈悲な暴力を振るうことに無感覚であった。

私たちは真面目に暮らしています。競争には勝っている人々も多いでしょう。偉そうに他人を上・中・下とランク付けしているかもしれません。でも人間の汚れも含めて人と人の違いなど大した違いなどではない。比べることのできないほどの圧倒的な愛、赦しを知らなければ本当に人生を生きたと感じることはできないのです。私たちはそういう状況の中で今、赦されて神の前に歩ませられている。深く感謝したいと思います。

お祈り

神様、こうして一週間、ペンテコステから一週間経ち、あなたの前に歩ませられています。どうぞ私たちの日々をあなたの恵みで満たしてくださり、いつもあなたの前に悔い改めつつ、あなたを見上げながら歩んで行くことができるように助けを与えてください。私たちはあなたの大きな許しと救いの中で支えられています。あなたの愛は命がけです。十字架に着くこと、罪の泥沼に入り込んでさえも救い出すあなたの愛を私たちに注いでいてくださることを心から感謝いたします。あなたの前にどうぞ、赦され、励まされて歩み続ける者でありますように助けてください。あなたの祝福を私たちに注いでいてくださいますように。あなたの祝福をお与えくださることをお願いをいたします。イエス・キリストのお名前によってお祈りをいたします。アーメン。

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