尊敬する人

最近ふと目にしたものに、少し戸惑いを覚えることがありました。次のように書いてありました。

尊敬する人物に関する質問は、会社の採用面接ではタブーとされています。 なぜなら、そうした質問は思想・信条に関わる内容であるからです。

そういうことが安易に聞けないとは窮屈な時代だなと思いましたが、あらためて尊敬する人について考える機会となりました。
もしこの質問をされたら、私はアウシュビッツ強制収容所で亡くなったポーランド人神父、聖マキシミリアノ・コルベと答えると思います。
私が最初にコルベ神父に出会ったのは、受洗のはるか前、当時の私は聖書を読み始めてやっと3ヵ月という頃でした。ミッションスクール1年生の夏休みの宿題で、「4人の中から聖人1人を選んで調べる」というお題でした。その4人は、アッシジの聖フランシスコ、聖フランシスコ・ザビエル、マザーテレサ(当時は列聖前でしたが)、そして聖マキシミリアノ・コルベでした。やはり一番人気はマザーテレサ、そして日本にキリスト教伝来に深く寄与したザビエルが続き、アッシジもちらほら。「あら、誰か、コルベ神父いないの?」というシスターのお声で、私はコルベ神父を選びました。今のようにインターネットの充実した時代ではなく、本で調べるしかありません。私の住んでいた町の図書館は小さく、電車に乗って隣町の図書館に行きました。書架の本で、コルベ神父の人生と出会ったのです。

逃亡者が出て見つからなかった場合、10人が見せしめのために餓死刑に処せられることになっていた。(中略)選抜された者は、自分の悲運を悲しみ、生まれたことを呪った。選抜に漏れた者は、安堵の胸をなでおろした。選抜が終わった時、そのうちの一人が、「私の妻、子供たち」と嗚咽して、泣き崩れた。(中略)この時、驚くべきことが起こった。一人の初老の囚人が列を離れ、前に進み出たのである。コルベ神父であった。その顔は穏和である。(中略)コルベ神父は、身代わりになりたい、と答えた。

川下勝 著(1993)『コルベ』清水書院

その図書館には食堂があり、オムライスが美味しくお昼は楽しみな時間でした。その日は一匙一匙口に運ぶ度、餓死刑に遭った人はどんなにか苦しかっただろうと思いました。他人のために、なぜそんなことをしたのか、12歳の私には不思議で仕方がなかった。宿題のレポートに何と書いてよいか分からず、「私にはとてもできないと思いました。」と書きました。ただ同時に、コルベ神父の温情に、他には例えようもない大きなものを感じてはいました。それが、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という主の言葉であることを本当の意味で知るのは、私がずっと大人になってからのことです。

信徒(2022年6月19日 週報より)

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