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キリストの弟子として

ルカ福音書6章12-19節 ある安息日の会堂の中で主イエスは、右手の萎えた人をいやされました。主イエスにとって、安息日こそ命を救い、善を行う事はふさわしいことだからでした。ところがそれは安息日の規定に真っ向から違反することでした。規定が間違っているなら修正...

神の支配の下に

ルカ福音書19章11-27節 文脈はエリコの町でザアカイが回心をした直後の話とされています。主イエスの歩みがまっすぐに十字架への道行きとなる途上の出来事です。エルサレムまで二、三十キロの地点にありました。エルサレムに入るとなれば、イエスはいよいよ王の地位に...

神に選ばれて

ルカ福音書18章1~8節 主イエスは、信仰とはなにかを弟子たちに伝えたかった。ここで主イエスが言われたのは、信仰とは《気を落とさずに、絶えず祈り続ければならない事》です。以前、韓国の教会を訪ねる機会がありました。私たちが訪ねた韓国教会は早朝4時頃から早朝の...

信仰はあなたを救う

ルカ福音書17章11-19節 主イエスがエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの間にあった重い皮膚病の病人の住む村に近づいた。苦しんでいた10人の人をいやされたというエピソードです。12、13節の内容から、そこが<重い皮膚病の人々の村>だと主イエスと弟...

神の招き

ルカ福音書16章14-31節 冒頭から「金に執着するするファリサイ派の人々が」という主語から始まるこの文章。そのように名指しされたファリサイ派の一人に「あなたはなぜそんなに金銭に執着するのですか」と尋ねれば、「わたしほど金銭にクリーンなファリサイはいない。...

信仰に報いる主

ルカ福音書7章1-10節     「ただお言葉をください。そして私の僕をいやしてください。」(7節)「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。言っておくが、イスラエルの中でさえ、私はこれほど信仰を見たことがない。」(9節)と主イ...

主が生きてともにいてくださる

ルカ福音書24章13-43節 エルサレムから60スタディオン(11キロほど)の所にあるエマオという村に向かって、二人の弟子がトボトボと歩いていました。11キロ北なのか、南なのかが気になります。あれこれ調べますとエマオはエルサレムの真西(まにし)に存在した村...

キリストの御復活

ルカ福音書24章1-12節 復活する 本日は復活日、復活祭です。この冒頭の部分に、なぜ女性たちが朝早くイエスの墓に行ったのか、その理由が述べられています。つまり遺体を丁重に葬るべく、香料を持ってきたのです。 主イエスが十字架につけられる直前まで、弟子たちは...

わたしと一緒に楽園にいる

ルカ福音書23章32-43節 本日は1週間後にイースター(復活祭)を控える大切な主日を迎える日曜日です。十字架こそキリスト教にとって大切中心的な出来事です。ところが福音書では十字架の上で主イエスがどれほど苦しまれたかについては、ほとんど描かれてはいないので...

主に見出されて

ルカ福音書15章1-7節 「見失った羊」のたとえ 日本と世界は今、本日の天候のような鬱陶しいくらい暗い時代の中にあるように感じられてなりません。財政や金融を中心とした経済の不安は、世界的に若者達の就職にも大きな影を落とし、ひいては心理的な不安を多くの人々に...