神に選ばれて

ルカ福音書18章1~8節

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主イエスは、信仰とはなにかを弟子たちに伝えたかった。ここで主イエスが言われたのは、信仰とは《気を落とさずに、絶えず祈り続ければならない事》です。以前、韓国の教会を訪ねる機会がありました。私たちが訪ねた韓国教会は早朝4時頃から早朝の祈祷会が行われていました。わたしの目に見えたのは祈りです。牧師の祈りに導かれて次々に個々の信徒の祈りが続きます。祈りは徐々に熱気がこもり全員で祈るように指示されます。祈りは突然堰が切れた激流となり、個々の信徒が、ある人は席から立ち上がり、両手を上げ、叫びというかライオンの雄叫びのような祈りの頂点をむかえ、やがて祈りの大波は引いてゆくのです。祈りを聞きたもう神がお出でになるなら、追い詰められた順番から祈りを聞いてくださるでしょう。祈り、求めの真剣さ、必死度に神さまは動いてくださる。

ここに一人の裁判官が登場します。神を畏れず、人を人とも思わないという裁判官らしからぬ人間です。その街に一人のやもめがいて、裁判官の所に来ては『相手を裁いて!わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は最初は取り合おうとはしなかった。「しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすに違いない。」(5節)というのです。「やもめ」とは他国のから来た寄留の外国人孤児などと共に、この世では最も助けが必要な存在として、旧約聖書の律法で言及されている人々です。

<選ばれた人たち>

「それから主は言われた。『この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』」(6-8章)という主イエスの言葉は、この世ので不正を行っている裁判官ですら、昼も夜も関係なく叫び求めているやもめのために裁判をするのだから、神はご自身が選んだ人たちに神の国をもたらさないはずがない、とういことです。この譬にある「選ばれた人たち」は eklektwn という言葉です。23章35節も同様です。

主イエスを救い主と信じ信仰に生きるように私たちは選ばれた。
主イエスは私たち罪人の罪がゆるされ、実を結ぶために選ばれた者なのです。

2023年10月15日 礼拝メッセージより

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