Blog

赦し、赦されるということ

私たちは様々な人の死に直面させられます。新聞や、テレビの報道で伝えられる様々な事件絡みの死も、たとえそれがわが身とは無縁の死であっても、それをついわが身に置き換えて、感情移入することが最近多くなりました。人生には少しも熟達出来ないのに、年は遠慮なくすすんで...

神に知られている

なんらかの信仰に生きるという生き方は、ある意味では、最も人間の、人間らしいあり方だと思います。ほんの数日前のことでした。その日、ヨチヨチと歩き始めたばかりの孫の莉音ちゃんが、風邪で具合を悪くして、お姉さんの未海ちゃんとわが家に来ていました。夕食を食べようと...

天国をあおぎ望んで

すっかりCDで音楽を聞く時代になったものですから、聞きたくても聞けなくなってしまった大切なレコードがあります。J・F・ケネディがテキサス州ダラスで暗殺された後、ボストンの教会で、エ-リッヒ・ラインスドルフという高名な指揮者が地元のボストン交響楽団を指揮して...

愛と祈りに生きて

1982年の事です。私が足繁くお見舞いに行っていた立川の病院で二人の高齢者がひっそりと天に召されました。一人は私が教会に行きはじめて間もない頃から知っていたAさんです。この方は、激動の昭和史の中で崩壊してしまった戦前の由木教会で信徒伝道者をしていた方でした...

忘れられない出来事

フィリピン人の娘さん われわれ日本人もその一員であるアジアにおいては、多かれ少なかれ、どの国もなにがしか、欧米による植民地化という歴史の軋轢の中で、途方もない苦しみを負わせられたことです。それは今もなお過去の出来事として葬られたとは言えず、今もなお途方もな...

笑う晩年

人生は刻々と時を重ねて、人は成長します。そして人生は休むことなく、その終りに向かってすすんで行きます。数年前に撮った写真を見て、私は驚きました。その時点の顔は既に今の顔ではありません。つまり数年前の顔は、数年でも、それは否定しがたく、数年ぶん、若いのです。...

「3匹の子豚」が教えてくれること

誰でも知っている童話がある。いつ頃の誰の作品だろうか、イソップでもアンデルセンでもないような気がする。3匹の子豚の兄弟が、それぞれ異なった素材で家を建てるという他愛もない話しである。「一匹は藁(わら)で、もう一匹は木で、最後の一匹は煉瓦(レンガ)で家を建て...

生涯の終りに

「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちを、思い起こしなさい。彼らの生涯の終りをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」 ヘブライ人への手紙13章7節 人生を生きることはさまざまにたとえられます。石を一つひとつ積み上げることにたとえられることがありますし、...

ねずみ一匹?

誰にとってもでしょうが、年末年始は、何かと事が多いのです。この年末に私は二泊三日のプチ入院生活を経験しました。11月の定期検診で「そろそろ前立腺の検査をしてみましょうか。」という主治医の言葉から事はスタートしたのです。結論から行けば『疑惑が晴れた』のです。...

神と共に歩む幸せ

今年も十月はじめ、丁寧に紙に包んだアメリカ・シアトル産の松茸が国際宅急便で届きました。又、今日も私の誕生日を覚えていて下さっているアメリカの友人から、”シアトルへ遊びにいらっしゃい”と書かれた誕生カードが送られて来ました。 1977...