天国をあおぎ望んで

すっかりCDで音楽を聞く時代になったものですから、聞きたくても聞けなくなってしまった大切なレコードがあります。J・F・ケネディがテキサス州ダラスで暗殺された後、ボストンの教会で、エ-リッヒ・ラインスドルフという高名な指揮者が地元のボストン交響楽団を指揮して演奏したモーツアルトの<レクイエム>(死者のためのミサ曲)がそれです。宗教音楽は教会で演奏されてこそ、魂に触れる音楽であることが立証されます。故ケネディ大統領の葬儀を録音したレコードです。録音のための演奏会でなく、録音装置はどこかに目立たぬようにそっとおかれた録音らしく、礼拝前にはすすり泣きのようなざわめきが聞こえ、やがて開会を示す鐘の音に続き悲しみに満ちた合唱が始まります。司祭の祈りとミサ式文の言葉が随所にはさまり、これが宗教音楽というより礼拝そのものであることを深く覚えさせられます。

<レクイエム>はモーツアルトの遺作となった作品です。人間業とは思えない、天才という称号をほしいままに発揮したモーツアルトは、35歳の若さで、1792年 12月5日、極貧の中に死を迎えたといわれます。その死の床で作曲を続けたのがこのレクイエムでした。年史によればこの年9月に「魔笛」を初演し、またあの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(まことの御体)を作曲したのもこの年です。
その夏すでに体調を崩しつつあったモーツアルトのもとに、全身を真っ黒なマントに身をつつみ、顔を隠した使者が「希望の謝礼を払うから、依頼者の名前を詮索しないで、レクイエムを作曲して欲しい」と名も告げずに立ち去った、といわれます。今ではある伯爵が自分の作品として発表するためにモーツアルトに作曲を依頼したものと、事実関係が明確にされています。しかし、モーツアルトはこの依頼を、単に金銭で頼まれた仕事としてではなく、近づく死を予感して、自分自身のレクイエムとして書いたといわれます。事実、妻のコンスタンツェにはそう言い残したといわれます。

レクイエムは「主よ、永遠の安息を彼らに与え給え」という言葉で始まります。残念ながらモーツアルトはこの大曲を最後まで完成することなく、残りは弟子のジュスマイアという人がモーツアルトの指示により完成させたといわれます。しかし、私のようなしろうとでもどこまでがモーツアルト、どこから弟子による継承かは歴然と分かります。そのモーツアルトの最後の筆、第7曲<ラクリモサ>「涙の日」はたとえようもなく美しい曲です。「涙ながらのその日よ、罪人は灰の中よりたち、裁きを待てり。さらば神よ、憐れみ深きイエスよ、彼らを赦したまえ。彼らに永遠の休みを与えたまえ。」この箇所をモーツアルトは臨終の床で、泣きながら、友人と歌いつつ、息を引き取ったといわれます。

この<ラクリモサ>のまえに、四重唱で<リコルダーレ>(憶い出したまえ)が歌われます。「十字架で、私をあがなわれた御身よ、その正義によって審かれる前に、私を赦しの恩恵を持って、御国に入れたまえ。」・・・「私を思い出してください。」これは聖書を読んでいる人なら、すぐに連想がつきます。キリストとともに十字架に釘付けられた強盗の祈りです。モーツアルトの、人間わざとも思えない天才ぶりの、その魂の奥底には自らの罪深さを深く自覚する澄み切った信仰の心があったのです。

キリスト教信仰が、形ばかりの形骸化したものに陥りやすいのは、モーツアルトの時代ばかりではありません。神の前にあることを深く自覚して、彼はレクイエムを書いたのです。特別な才能など、なにひとつない私。でも、同じ神への信仰の心は通じています。そして日常の歩みの中で、この神をうつし出して生きたい。そう願うことです。

(2006年03月19日 週報より)

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