カテゴリー: 礼拝メッセージ

キリストの弟子として

ルカ福音書6章12-19節 ある安息日の会堂の中で主イエスは、右手の萎えた人をいやされました。主イエスにとって、安息日こそ命を救い、善を行う事はふさわしいことだからでした。ところがそれは安息日の規定に真っ向から違反することでした。規定が間違っているなら修正...

永遠を映し出す場

マタイ福音書28章16-20節 召天者記念礼拝 猟師は足跡を見れば、その動物が熊か、野牛か、オオカミか瞬時に判別がつきます。人は誰でも、もっともその人らしい足跡を残すものです。その人は何を焦点に、何を目指して人生を送ったのか。すでに刻まれた人生という足跡は...

神の支配の下に

ルカ福音書19章11-27節 文脈はエリコの町でザアカイが回心をした直後の話とされています。主イエスの歩みがまっすぐに十字架への道行きとなる途上の出来事です。エルサレムまで二、三十キロの地点にありました。エルサレムに入るとなれば、イエスはいよいよ王の地位に...

神に選ばれて

ルカ福音書18章1~8節 主イエスは、信仰とはなにかを弟子たちに伝えたかった。ここで主イエスが言われたのは、信仰とは《気を落とさずに、絶えず祈り続ければならない事》です。以前、韓国の教会を訪ねる機会がありました。私たちが訪ねた韓国教会は早朝4時頃から早朝の...

信仰はあなたを救う

ルカ福音書17章11-19節 主イエスがエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの間にあった重い皮膚病の病人の住む村に近づいた。苦しんでいた10人の人をいやされたというエピソードです。12、13節の内容から、そこが<重い皮膚病の人々の村>だと主イエスと弟...

神の招き

ルカ福音書16章14-31節 冒頭から「金に執着するするファリサイ派の人々が」という主語から始まるこの文章。そのように名指しされたファリサイ派の一人に「あなたはなぜそんなに金銭に執着するのですか」と尋ねれば、「わたしほど金銭にクリーンなファリサイはいない。...

キリストに新しくされ

コロサイ3章5-17節 使徒パウロはここで同じ言葉を繰り返します。<身につける>という言葉です。<造り主の姿に倣う新しい人を身につけ>(10節)<憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。>(12節)これら全てに加えて、<愛を身につけなさい。>(...

十字架を背負う

ガラテヤ書6章11~18節 ここはガラテヤ書の締めくくりの部分といえるところです。11節にパウロは書きます。「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」この文から推察できることは、6:10までパウロは秘書とでもいえる弟...

共に生きる

ローマの信徒への手紙 14章1-9節 教会生活の中で重大な事柄の一つに、他者を受け入れ、信仰の交わりの中で共に生きるということがあります。教会に行くと、この世の人間関係と違うものがあります。張り合ったり足を引っ張り合ったりではなくて、誰もが受け入れあってい...

み言葉を行う

ヤコブ1章19-27節 ヤコブ書では、貧しい人々にこそ神の目はそそがれ、富む人は低くされるとさえ言います(1:9-11)。様々な価値観が渦巻く中で教会にも主イエスにふさわしくない在りようが目を覆ったのでしょう。一つは教会共同体の貧しい人への対応です。人々は...