カテゴリー: 週報の裏面

きっと神のみこころだ

今日の午後、高幡カトリック教会の<さつき祭>のバザーに由木教会も参加します。日本キリスト教団永山教会も加わります。野外礼拝(ミサ)は10時から。バザーは11時半から始まりますから、われわれが礼拝を終えて、大急ぎでかけつけても、12時半くらいにはなりますから...

懺悔と悔い改め

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。 ひとりはファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほ...

わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ

「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」 ローマ9:13 聖書には神の選びの思想があります。選ぶという行為は、複数ある物の中から、どれかを選り取ることです。上記の言葉はエサウとヤコブの二人兄弟の中で、神はヤコブを選んだと言うことです。これを兄のエサウから...

熱心と熱狂の間

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 ローマ12:1 <なすべき礼拝>と新共同訳で訳されている言葉は、口語訳では<なすべき霊的な礼拝...

だれかが弱っているなら・・・

世間では、強がったり、いきがったりしなければ生きていけないように思い込んでいる人々がいる一方で、全く職につかないで、疲れ果て、閉じこもったきりで20歳代、30歳代を過ごす若者も少なくありません。ひとにはそれぞれの生き方、人生のプロセスがあります。作家や、作...

我ならぬ我、現れ来て・・・

讃美歌21の579番「主を仰ぎ見れば」はこう歌います。<主を仰ぎ見れば、古き我は、現世(うつしよ)と共に、速(と)く去り行き、我ならぬ我のあらわれ来て・・・・>歌詞についてなにか言うつもりは全くありません。ただ思いめぐらす中で[我ならぬ我の現れ来て]という...

祈る人

数日前のことです。車を動かそうとしたそのとき、帽子をかぶった品のいいご老人が説教題を前にして手を組んで真剣な面持ちで祈りをしているのに気づきました。エンジンをかけることは祈りおえるまで遠慮しました。また、こちらから声をかけることはしませんでした。私には気づ...

ヴァンクーヴァー・オリンピック

カナダのヴァンクーヴァーで行われた冬季オリンピックが今日終わります。種目によっては夜も寝ずにテレビ観戦した人もいたかもしれません。私はオリンピックにも、ウインタースポーツにも詳しくありませんから、さして関心があったとはいえません。真央ちゃんーキム・ヨナさん...

こころ乾く時代に

ごく最近の新聞記事ですが、高齢者による2件の自殺と心中が伝えられました。一方は大阪で、80歳代の姉と妹が、自宅にしていた住宅の庭で焼身自殺を図ったというものでした。遺体は損傷が激しく性別を判別することすら難しいほどの状態だったというのです。自殺の引き金にな...

キリストを見つめる

使徒パウロの生涯は、そのかなりを獄中で過ごしたと思われます。ですがパウロは獄中から福音を語り、人を導き、教会へのメッセージを語りました。エフェソ書、フィリピ書、コロサイ書、フィレモン書はパウロが獄中からしたためたので獄中書簡と呼ばれています。パウロに友人フ...