カテゴリー: 週報の裏面

世俗化と宗教化に抗して

例えば、ここに一人の青年がいるとする。彼は学生として真面目な教会生活を送っていた。しかし彼が学校を卒業し、就職すると共に、一つの危機が訪れる。それは、彼がとにもかくにもそれによって生きることを願い、それによって生きることができると信じていた福音の論理が、職...

トミさんを見送る

1990年から約10年ほど由木教会でともに過ごしたI本(Iもと)トミさんは先週日曜日夕刻7時に天に帰られました。翌日お目にかかれることを期待していた私たちは落胆・悄然とするなかに、荷物の中に喪服を用意したのです。那覇空港から教会に着くとすでにご遺体は講壇前...

嘆きを数える神

あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄(たくわ)えてください。 詩編56:8 人生には涙の経験が避けられないと思います。<いつも喜んでいなさい>と聖書は私たちに勧めますが、同...

痛みを抱えて生きる

今年に入ってから体調を崩しました。お腹の痛みが続いたのです。今までもお腹が張ってガスが溜りお腹を痛くしていたことがよくあったので、いつもの痛みだとやり過ごしていました。 ところが1ケ月たっても2ケ月近くたってもいっこうに痛みが治まりません。だんだん心配にな...

十字架の道行きの中で-ヴィア・ドロローサ

カトリック教会に足を踏み入れると、たいていの教会では<十字架の道行き―ヴィア・ドロローサ>といわれる主イエスが、重い十字架を負って歩まれたときに出会った人々との物語が絵や彫刻で示されます。すでに鞭打ちの刑を受け、虐待にやつれた主イエスにとって、70キロを越...

復活を望んで

3月の終わりになると、私は一つの出来事を思い出します。私のうちでは昨日おこったことのように鮮明に記憶していることですが、もう途方もない時が過ぎてしまったことです。約30年前の3月、70歳を過ぎたばかりの孤独な女性が国分寺の病院で亡くなられたのです。彼女は結...

スクールカースト

最近の新聞で知った新しい言葉に「スクール・カースト」なるものがあります。学校で成績や運動能力、外見から一種の階級化が行なわれインドのカースト制度のような画然とした動かしがたい階層集団を作ってゆくもので、もともとはアメリカで始まった現実のようです。民主主義の...

それでも、世界の主なるキリストを見上げよう

もはや夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。 ヨハネ黙示録22:5 この文章を書いたヨハネは囚人としてパトモスという小島に、流刑者として日々を過ごしていました。当時ローマ帝国にあってド...

心の支えとしてのキリスト教信仰

牧師の職務のひとつに悩みを持つ人の苦しみに耳をかたむけるということがあります。牧師はカウンセラーではありませんが、いわば緊急避難的に心痛む人の来訪をうけることがあります。けれど最近は、ほかならぬ牧師自身が深い悩みを抱えて、自分にとって不都合な過去の出来事の...

できれば、せめて・・・

使徒であったパウロの言葉に「できれば、せめてあなたがたは」と言葉をつなげ、その後に<平和に暮らしなさい>と語りました。(ローマの信徒への手紙8:18) 21世紀の東京であろうと、1世紀のローマであろうと、人間が平和に暮らせていない現実は変わりません。なにも...