できれば、せめて・・・

使徒であったパウロの言葉に「できれば、せめてあなたがたは」と言葉をつなげ、その後に<平和に暮らしなさい>と語りました。(ローマの信徒への手紙8:18) 21世紀の東京であろうと、1世紀のローマであろうと、人間が平和に暮らせていない現実は変わりません。なにも国際紛争を引き合いに出すまでもありません。家族や夫婦、兄弟や友人同士の関係の中でさまざまな緊張や摩擦が日常茶飯事で起こります。傷つけなくてもいいような問題で傷つけあい、持ち出さなくてもいい激しい言葉や感情をぶつけあって、お互いの関係は硬直し、会話は途切れ、沈黙が両者を包んでいきます。

まして2000年前のローマはひどく荒々しい社会だったでしょう。イタリアには今でも2000年前のアレーナ(円形競技場)が健在です。ローマのコロセウムは今でもローマのランドマーク的な建物です。ヴェローナにあるアレーナはさらに堅牢で今でも野外オペラが開催されることで有名です。しかし2000年前そこで剣闘士たちの殺人ゲームが行なわれ、人々は血を流し、殺される剣闘士たちの試合を熱狂して見ていた。

当時ローマは世界の中心都市でした。今でもイタリアのあちこちに<ここはローマから○○マイル>というマイルストーンが見られます。世界の道はローマに始まり、ローマに集中しました。そしてそのローマには自らを神とする皇帝が君臨していました。人間とはかくも欠け多い存在なのに、自分自身を神と呼ばせることは、どれほど現実を無視しているかなど、皇帝たちは都合よく、勝手に忘れます。特にペトロやパウロが活躍していた時代の皇帝ネロは残忍で、パウロは斬首され、ペトロは逆さ十字架につけられて、殉教したといわれます。

なぜこんなことがと思う一方で、納得できる部分もあります。つまり権力の座に着くと、人は不思議に変わるのです。たとえそれが取るに足らぬ小さな権力の座であっても、人はいつの間にかその椅子が大したものと、思い込むフシがあります。そしてその椅子に坐らなければやるはずのないパワーハラスメントに手を出します。そんな小さな出来事は私たちの周辺にいくらでも見つけることが出来ます。

あのとても平和とはいえない野蛮なローマ時代に、聖書の中に<平和>と言う言葉は溢れています。もちろん平和の思想は旧約聖書のシャロームから引き継がれたものといわれます。「できれば、せめてあなたがたは、平和に暮らしなさい」というパウロの言葉は、より個人的、日常的な歩みの部分で言われているような気がします。殉教すら恐れていない偉大な指導者から勧められたとしても、命令や勧告で平和に暮らせるわけはありません。信仰に生きる以外に平和の道はないのです。社会がどれほどすさんだ荒々しい世界であっても、いやそれだからこそキリスト者は平和の道を歩みます。

(2013年02月17日 週報より)

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