夏が過ぎて・・・

9月も半ばを過ぎ、彼岸を前にしています。まだまだ残暑のつづく日々ではありますが、もうまごうことのない秋が到来です。そうこうしているうちに9月の電気料金の報告が来たのです。請求書にはこう書き加えてありました。「今月分は昨年と比べ54%減少しています。」 なにかの間違えかと思うほどの減少率だったのです。わが家の場合は企業の事務所や工場と違って、目標を立てて節電したわけではなく、多くの家庭のように多少節電を意識して冷房を控えるとか、無駄な電気を省こうとした結果に過ぎません。ただ何かを始めだすとついムキになるという傾向もあるのですが・・・それが54%減につながったかもしれません。

若者には物笑いの種にされるかもしれない。<もうすぐ67歳に届こうとするオヤジがそんなまねをして体に良いわけないよ。>そんな声が聞こえて来そうです。でもじつは逆でした。体調はすこぶる良好だったのです。私は朝と晩、基本的に1,000キロカロリーのエアロバイク乗りを欠かしません。基本的に1時間以上かかりますからかなりの肉体負担です。その間1L近い水を飲み、代謝活動は盛んになって前日の飲食はほぼ完全に体外に排出されます。そして十分に汗もかきます。またこうした有酸素運動はセロトニンが脳から分泌されるとかで、終わったときは気分も爽快で、疲れは全く感じられないのです。いい汗をかいた後は体の表面は、かなり冷えていることにも驚かせられます。エアコンを適切に使用することは避けがたいことですし、必要なことでもあります。でも、やはり人間の体はあまり冷やし過ぎることはいいことではないと、今年ほど思ったことはありません。適切な発汗で体温を調節する前に、エアコンで冷やしてしまうことは楽ですが、本能的に人間に備わった能力を萎えさせることにもつながるのではないでしょうか。

これら一連のことは3月11日の震災発生によって引き起こされた原発事故から避けられなくなった節電がもたらした一つの結果でした。人は、与えられている平和で小さな幸せを当然のように受け止めますが、大震災や原発事故で、それらが決して当然でなかったことに愕然とさせられます。
先週、私は高名な経済学者が最近の世界経済の動向を語るテレビ討論を見ていて、彼らが、最近の不況は、世界恐慌が避けがたいところまで到達しているのだという主張に、軽い衝撃を覚えたのです。ひとりの経済学者が、世界最大の債権国日本は、本来は国民全体がより豊かな生活を享受できるはずである。それがそうなっていないのは分配の不公正からくる富の偏在がおこり、昼間も、夜も働いてすら、なおワーキング・プーアの状態におかれた多くの人々を生み出している。それはひとえに、おおくの日本人が、十分に自分が食べられるほどの生活をしていれば、残りの人々はどうなってもよいという生きかたを捨てて、他者中心的な生きかたへと変えられるべきことが問われているのだ、というような主張をしておられたのが印象的でした。

かつての世界恐慌は80年前の出来事でした。世界的経済の破綻はやがて世界全体を巻き込んだ第2次世界大戦へと進んでいったのです。ただ世界は80年前と今とではあまりに違っています。2001年の世界貿易センターへのテロで犠牲になった方々はあの二つのビルで93カ国の人々に及ぶそうです。私がたまに都心に出かけると、世界中の言葉が行き交っています。グローバルな社会は一国一国のエゴを押し立てた戦争に突き進むなどあっていいはずがないでしょう。たぶん世界恐慌を避けるための研究も経済学者、歴史学者の手によって進められているでしょう。ただその任に当たる経済学者の口から、<あなたが一番>と表現していましたが、他者中心主義こそ、世界恐慌から世界を救うと表現していた主張がとても面白いと感じたのです。
キリスト者として生きることが、単に自分の魂が救われれば良いとか、自分が神の前に聖化されていれば良いと言うことではありません。それではエゴイズムの宗教的変形のひとつに過ぎないのです。他者への思いは行動にあらわされ、具体化されねばならないでしょう。この行き詰まって方向を失った市場経済主義が、世界恐慌の可能性すらはらんできた2011年に、あらためて2000年の深い霧の向こうからイエス・キリストを呼び出したような印象を覚えたのです。

(2011年09月18日 週報より)

おすすめ