初めてのクリスマス

先日、クリスマスの案内チラシを新聞に折り込みました。ですが、新聞の購読者数が減って400枚近くを販売店から引き上げて、その分の枚数を手配りすることにしました。であう人々には声かけをして、直接手渡しを心がけました。ほとんどの方々が喜んで受け取られましたが、当然他宗教や○○ガッカイの方々もいるはずです。たった一人だけ「わたしの家は仏教ですから、けっこうです(不要です)。」と案内を受けらなかった方がいました。

そうした対応があることはむろん当然です。立場が反対だったら、つまりイスラム教の伝道者が戸別にチラシ配布をしていたら、わたしだって受け取るかどうかは微妙です。けれどクリスマスの面白いところは、わたしのクリスマスチラシを受け取らなかったその女性のお宅においても、クリスマス・ツリーやオーナメント、屋外の電飾、クリスマスプレゼント交換やクリスマスケーキを楽しんでいないとは限らないことです。<いや、必ず飾っているはずだ!>とわたしには思えるほど今は各家ごとにクリスマス飾りがあふれています。クリスマスのお楽しみや喜びはいまや掛け値なしに、キリスト者であろうとなかろうと、国民的喜びになっているところが嬉しいことです。

そも聖書のクリスマスがそうした一面を持っています。クリスマスの出来事にいわゆる当時の宗教の専門家は全く関わっていません。祭司も律法学者も、ファリサイもサドカイも今で言うところの神学の専門家、牧師、神父に類する人々は外されているのです。幼子イエスを見つめるマリアとヨセフのもとに、天使のみつげによって駆けつけたのはベツレヘムの野にいた羊飼いでした。定期的に神殿礼拝にも会堂の礼拝にも出ることのない羊飼いは罪びととして人々からさげすまれていた人々でした。それは職務の都合上やむをえないことでした。昼は牧草地で羊を見守り、夜はオオカミや野獣から寝ずの番をしなければならない羊飼いは、定期的にユダヤ教の祭儀に与ることなど夢のまた夢。しかし彼らの働きこそ神殿の犠牲の祭儀に必要な羊を提供していたのです。

さらに不思議な星に導かれてやってきたのは占星術師の老人達でした。これまたユダヤの宗教から遠くかけ離れた、たぶんゾロアスター教を信じていたかもしれない外国人でした。こんなうさん臭く見える人々が始めてのクリスマスの登場人物です。いま存在するエルサレムの嘆きの壁は、ヘロデ大王が建設したエルサレム神殿の一部です。そのヘロデは生まれたばかりの幼子イエス殺害を企て、ベツレヘム近郊の2歳以下の男の子の虐殺をはかりました。また祭司やファリサイの人々はやがての日にイエスキリストを十字架に追いやったのでした。祭儀や教義や伝統を守ることばかりをめざし、異邦人を排除し、しょうがい者を差別していたエリート、権力者、宗教家は最初のクリスマスには何の関心もありませんでした。

主イエスキリストは<平和の君-the prince of peace>としてお出でになりました。キリストの前に、人と人を分断するいかなる線引きもありません。ここにクリスマスの原点があります。

(2012年12月23日 週報より)

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