神の前に生きる

去る4月27日、ロシア人の世界的チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポービッチがモスクワの病院で亡くなった。NHKがこの人の記念番組としてかつて放送したインタビュー番組がテレビで再放送されたのを一部見ました。(来客があり全部見ることはできませんでしたが、見たかぎりでは今までこの人について知っていた以上のものではありませんでした。)かつてパブロ・カザルスが「わたしは二度と独裁国家では 演奏をしない。」としてスペインでの演奏を終生拒絶しましたが、ロストロポービッチも1974年に国外演奏旅行が許可されたことを機に出国し、国家崩壊まで帰国が許されなかったので、本国での演奏活動はソ連崩壊まで10数年間行われることはありませんでした。
そのきっかけは作家のソルジェニツィンを1968年に別荘にかくまったことが原因でした。ソルジェニツィンは小説<収容所群島>を書いて、ソ連全体が反体制派にとっての巨大な強制収容所になっていることを訴えたのです。怒ったソ連政府はソルジェニツインを飢えと寒さの中で、暖房も許さない警察の監視下に置いたのです。これを知ったロストロポービッチはソルジェニツインを別荘に保護したのです。反体制作家に救いの手を差しのべれば、どういう結果を招くかは誰にでも推測可能です。しかしロストロポービッチはあえてそうしました。音楽家がすべてそう行動するかどうかは分かりません。ナチ時代にヘルベルト・フォン・カラヤンはナチ党に入党していました。童謡を作曲したことで知られる高名な日本の作曲家は、戦時中は軍服に身をつつんでいたとも聞きます。ロストロポービッチは偉大なチェリストであると共に、良心に生きる音楽家でした。

数週間前に朝日新聞の社説に取り上げられていた事件です。昨年8月にJR特急電車内で若い女性が暴行されたというのです。その車両内には40名の乗客が乗っていたが、ナイフで脅され誰一人として車掌に通報する人はいなかったということでした。起こった事実がどうであったかのか、関係者の内面にふれることでもあり、伝えられることはないでしょう。しかし結果として、このような無法がまかり通ってしまったことに、わたしは衝撃を受けたのです。政治権力による無法や、卑劣な人間による不法に直面したときにどう行動するのか、そこに人間としての大切なあり方や知恵が求められます。
旧約聖書において、登場する預言者たちは、神の民であるべきイスラエルの人々が真実と正義と公正に立って行動することを求めました。けれど現実には預言者の主張は退けられ、神の期待は裏切られ続けたのでした。<神の民>とは名ばかりで、その実態は他の民と変わることはなかったのです。預言者エレミヤを通して神が語られました。

「立ち返れ、イスラエルよ」と主は言われる。「わたしのもとに立ち返れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば再び迷い出ることはない。」もし、あなたが真実と公平と正義をもって「主は生きておられる。」と誓うなら 諸国民の民は、あなたを通して祝福を受け あなたを誇りとする。

エレミヤ4 : 1,2

イスラエルが本来そうあるべき生き方をするなら、神の祝福はイスラエル一民族にとどまらず、他の民族さえ祝福に恵まれる、はずだというのです。でも歴史はそうでなかったことを現します。それは現代を生きるイスラエルにとっても、またキリスト者として生きるわれわれにも、はかりしれない教訓になります。
現代は何もかも流動的です。時代にあわせて生き方も変えていけばよいという主張も多くあります。しかし変わってよいことと、変えてはならないあり方があることを曖昧にしてはならないのです。真実にキリスト教信仰を生きること。許されるかぎりの中であっても、誠実に主日礼拝に与ること。暴力的な権力の行使には手を染めないこと。イエスの足跡に従うことを何よりも大切にすること。神の民の一人であることを、深く心に刻んで生きたい。

(2007年05月27日 週報より)

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