壁を乗り越えよう

人と人を分断する壁は、相変わらず世界中に張り巡らされています。

ベルリンの壁のように目に見える壁があります。ヨルダン川西岸区域のパレスチナの自治区には、イスラエル政府が世界中の非難を浴びながら、ベルリンの壁よりも高く巨大な壁を構築しているところです。国と国をわける国境は厳然とした、絶対的なものに見えますが、インドとパキスタンや、中東のアラブ国家間の国境線など、ヨーロッパの国々が植民地化する過程で、線引きされたもので、そこに必然的理由があって分断されたものではありませんでした。いったん引かれた国境は冷たく人々を、分断するのです。
しかし、目に見えない壁も、人と人の間には多く存在します。夫婦や親子、隣り合う人々どうし、憎しみや、無理解、差別や偏見によって、どれほど人と人の心が行き交わなくなっているかを時折思うのです。

どの時代にも新しい壁を造ろうとする人々と、壁を打ち破ろうと努力する人が存在します。2000年前のユダヤ人はローマによる支配と差別のなかにいましたが、同時にユダヤに最も近い、分身のようなサマリヤの人々をさげすみ、非ユダヤ人を差別することで自らのアイデンティティーと誇りを保とうとしていました。それはほかならぬ自分自身が自覚する弱さの裏返しに過ぎないものでした。

そこにイエス・キリストが登場しました。主イエスはサマリアの地を訪ね、サマリア人のなかでも軽蔑されていた女性を救い、フェニキア人の多いティルスに出かけ、ギリシャ人の女性を信仰の道に導くこともしました。イエスは当時の正統的なユダヤ人が嫌う障碍者、罪人、収税人、しょう婦、重い皮膚病を患う人々を<友>と呼びました。必要な時は祭司長から許可をうけ、神殿の庭で両替えを行ない、捧げもの用の犠牲の動物を売って法外な利益を上げていた商人をそこから追い出すこともしました。

主イエスは神の前に生きようと志をたてる人なら、どんな前歴であろうと、ユダヤ人であろうとなかろうと、どんな罪人であろうと、誰でもお救いになったのです。主イエスのもとには問題を抱えた人々が数多く身を寄せて集まったのです。人は過去と一挙に訣別などできないから、主イエスは彼らを忍耐と寛容をもって受け入れられたのです。「キレイになってから私のもとに来なさい。」とは言わなかったのです。「あるがまま、そのままでいいから来なさい。」キリストにつながっていれば、人は変わらざるを得ないのです。変われないのは、本当は、つながっていないからなのです。
やがて教会が少しづつ形づくられて行きます。イエスをキリストと告白した人々は、何の留保もなく教会の共同体に迎え入れられました。教会の外ではユダヤ人と非ユダヤ人、奴隷と自由人、富む者と貧しい者の絶望的な対立がありました。でも教会のなかでは、人種や階級や民族による対立は超えられていました。外では奴隷であっても、教会のなかでは監督として指導する人がいました。それは奇蹟とでも言うほかない現実でした。やがて愚かな皇帝礼拝が強要されるなかで、キリスト教徒はイエスこそ主であると告白しつつ、迫害と弾圧を耐え抜きます。キリスト教はローマ帝国のなかで精神的支柱となって行きます。

人は自分に都合のよい壁を作り上げることが好きです。自分の好み、自分の都合、自分の利益を守ろうとする時、壁を造って、そのなかで安住しようとします。主イエスは、様々な違いをこえて、なおひとつになりうる道を築いて下さった。無理解や差別や偏見と言う壁をわれわれはいかに超えられるだろうか。そこに原点である主イエスの精神をいかに生きているかが、現われます。

(2005年04月17日 週報より)

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