不思議な出会い
大きくても小さくても、教会なるところは特別な空間で、その考え方や具体的な行動は教会らしさが伴って当然でしょう。しかしながら教会もせちがらい社会の中で、つい教会らしさやキリスト者らしさをどこかに置き去りにする誘惑にかられることはないとは言えません。教会が教会であることを忘れると、教会ではなくなるのです。塩が塩でなくなることがあってはならないのです。
由木教会が最初にスタートしたとき、教会のお隣はすし屋さんのご一家の自宅でした。店は少し離れた、吉田さんの小間物屋の近くにありました。当時由木教会の会員は4名ほどでした。店が終わると時折すし飯をわれわれに差し入れてくれました。
最初の年、私がまだ独身のときに、夜11時過ぎに店の前を通り過ぎようとすると、「牧師さん、入っていきなよ。」と私を店に呼び入れて、ご馳走してくれたことが数回ありました。その年は空腹なまま、夕食なしで、床につく日も多かった年で、私にとって、それは親切なすし屋がいると言うことにとどまらず、不思議な神による出来事・出会いと思わずにはおられなかったのです。
このすし屋さんただ者ではありませんでした。寿司を食べに来る人々の中には、悩みをかかえてくる人もいます。今ではすし屋に悩みを話せるような時代ではなくなっているでしょう。でも松寿司の主人は、そうした人の話をとことん聞いてやる人でした。中には、飲みすぎて酔いつぶれる人もいます。
すし屋夫婦はそうした人を教会の隣の自宅まで連れてゆき、一晩泊めて、翌朝朝食を食べさせて会社に送り出していたのです。夫婦はそうした人に教会に行くことも勧めてくれたのです。そうして教会に来て、複雑な家庭問題に今度はわれわれが関わることになったことがあります。結局すべてが解決したとき、彼の姿は遠いブラジルに消えていきましたが、キリスト者でもなく、民生委員でもないすし屋夫婦のいき方は、わたしたちには驚きと感動を心に刻むものでした。
すし屋さんは地域の区画整理のごたごたのなかで、気風のいいおやじさんの意に沿わず、町田に引っ越してしまったとのことです。わたしは毎朝Y宅で行っていた早天祈祷会に行くため、6時前にすし屋の前を通ると、すでに店の掃除をしている店主に会い、夜は11時過ぎに店の前を通り過ぎることがよくありました。その折に「これ食べて!」と寿司飯をいただいたり、場合によっては店に招き入れられたのです。
こうした善良な人々が無難な人生を進むかというと、必ずしもそうでないことが世の常です。由木を去って、ストレスからでしょうか、奥様が40歳代でくも膜下出血で生死の境をさまよい、数ヶ月意識不明の状態に陥ったのです。夫は妻の看病に明け暮れました。やがて妻は回復しましたが、その矢先に、夫はガンにかかって風のように他界したのです。一連の嵐のような出来事の中で残された妻はすっかり元気を取り戻しています。破綻したリーマンのCEOだった人の収入は2000年から480億円だったと伝えられました。
強欲とミーイズムで人生を歩む人もいるし、社会の片隅であっても堂々とよしとするところ全うする人もいます。信仰を口にする人でも、キリスト教信仰を自己実現やご利益達成の手段と受け止める人もいます。しかしいずれ人生は神の前に繰り広げられる舞台であり、最終的には神に責任を負うものであるに違いありません。
松寿司はなくなってしまった。残念です。
(2008年10月19日 週報より)