平和に生きる

8月を迎え、今日は平和聖日を迎えました。大戦終了から60年たち、日本の近代史を教えられなかった若者の間では<日本を戦争ができる普通の国へ>という感覚が強まっていると聞きました。この8月。あちこちで盆踊りが行われます。8月は日本の鎮魂の月です。わたし自身も外地・樺太の生まれで、兄弟たちの墓は樺太に眠ったままです。今のところ、訪ねることはかなわなかったのです。知らなければ問うすべもありませんが、提岩里、南京大虐殺、性奴隷として韓国朝鮮の女性を大量に徴用したこと。731部隊による人体実験、日本の炭鉱、工場への中国人、朝鮮人強制連行。非人道的な数々の事件はなぜ止められなかったのか。改めて慄然とします。

戦争を行うためには、それなりの体制が必要になります。戦争準備への一定の組織化がなされるまでには、市民はもちろん、ジャーナリストも、軍人でさえも、平和の試み、戦争不拡大は共通した願いでした。けれどある時点から、法律も、思想も、宗教も決して<反戦>を許さない体制が確立し、有無を言わさぬ社会が人々を絡め取っていきました。そしていつの間にか、人々は、日本にとって戦争以外の道はなかったと思い込まされて行きました。どう見ても、当時の日本がイギリス、アメリカと戦って勝てるはずもない戦争を、<勝てるはずだ>と信じ込む妄想は何によるのでしょう。戦争こそ最大のマインドコントロールで、人々を押し流すのです。日本を<戦争のできる普通の国へ。>とは、すでにこの手法によって、洗脳されている結果に思えてなりません。

本日は広島被爆61周年です。ジョージ・ザベルカという人がいます。広島、長崎の原爆投下機が発進したテニアン島で、従軍司祭として働いていたカトリック神父です。彼は敗戦後直ちに広島入りして、自分たちが行った行為が何であったかを深く知り、平和への行動にシフトするのです。終戦が近くなると、日本の防空システムは破壊し尽くされ、B29 爆撃機はかなり低空を飛ぶようになりました。巨大な B29 が近づき、見上げる日本人の幼児たちが、そのまま投下されたナパーム弾に焼かれていく姿を見た乗員たちの中には、精神に障碍をきたす兵士たちが少なからずいたといいます。(福音と世界93年8月号―ジョージ・ザベルカ 原爆投下機チャプレンの回心)

ザベルカは、非戦闘員の大量殺戮とキリストの言葉との間に横たわる途方もない矛盾と距離について<洗脳されていた>と述べます。イエスの言葉は一貫して平和に生き、力を捨てることを語ります。やがて教会が権力を持った後、教会において正義の戦争論という考え方が一定の力を得ていったことです。その文章の中でザベルカは提案するのです。今こそキリスト教が一致して、戦争はイエスの考え方に全く相容れないことであり、キリスト者が戦争に参加したり、経済的な支出はしないと宣言すべきである、といいます。

1941年当時のきわめて貧しい日本が、アメリカと戦争をするなど、正気の沙汰ではありませんでした。しかしそれを当然のこととして行ってしまうこと。ついには片道の燃料だけを持たせて爆弾ごと飛行機を敵艦に体当たりする特攻攻撃が米兵たちにパニックを与えたと言われます。日本の特攻攻撃は美談ではなく、強制された出来事であることを憶えるべきです。戦争において日米の兵士たちが、洗脳されて、正常な心を奪われて、戦いあったことです。

もう戦わない。平和に生きる。そう決断すべきです。戦争ができる普通の国といったマインドコントロールにだまされてはならないのだと思います。米軍の圧倒的な武力で制圧したはずのイラクは「内戦寸前であり、バクダッドはきわめて危険な状態である。」と米軍司令官が語ったと新聞に伝えられました。武力に物言わせてみても、流血はあっても、ことは何の解決ももたらされず、事態の悪化を招いただけでした。平和構築こそ未来創造的なのだと思います。もちろん平和は一人の心から始まります。

(2006年08月06日 週報より)

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