ある出会い

今週も旅の途中でであった出来事について書かせていただくことにします。

私たちの旅では様々な人々との出会いが避けることが出来ません。宗教改革がスタートした町ヴィッテンベルクに立ち寄ったとき、昼食のために入った通りに面したカフェはあいにく客でいっぱいでした。その時若いカップルのドイツ人がご一緒にと声をかけてくれたのです。この二人、北ドイツのハンブルクから往復700キロを長躯二人用自転車で 旅行中のかわいらしい男女の青年でした。ドイツ人としては小柄な若者達でしたが、一生懸命話しかけてくれました。またライプチッヒで手さげをつい置き忘れたニコライ教会では、ハンサムな教会の執事さんが、これを大切に保管してくれていました。この人とは記念写真を取りました。イタリアではまずありえないドイツ人の律儀さに感動しました。あちこちで道を尋ねるので、タトゥーがあろうが、モヒカン刈りだろうが相手を選んではいられないこともあります。

ベルリンでのことです。バスの中で、ある中国人のご家族が私たちの前に座っておられたのです。大変感じのいい家族。大学生風の坊やと父親がわれわれの向かい合いの席に、そしてその前の席にお母さんとお嬢さんが座っておられました。われわれが日本人であることは、どこへ行ってもわかるようです。われわれ夫婦は典型的な日本人顔なのでしょうか? ご一家は向かい合いの席に座っていましたので、連れ合いが知っている中国語を並べてなにやら話しかけたのです。少し驚いた様子でしたが、青年はうれしそうに中国語で返事してくれました。すると前の席にいたお嬢さんが英語で喜んで話の輪に加わってくれたのです。彼女はベルリンの会社に勤める娘さんでした。お父さんも車内では珍しいスーツ姿のきちんとした方のようでした。

ベルリンというか、ドイツはかつてのナチ軍国主義からの清算にますます拍車をかけてこの21世紀を生きようとしている姿が鮮明です。たとえば街角の1階部分をつぶすように、かつて西ベルリン市長だった(後に西ドイツ首相を務めた)ウイリー・ブラントが1970年ワルシャワ市のユダヤ人墓地を訪問し、儀仗兵を脇に、雨の中で傘も持たず両膝を屈して手を合わせ祈る、謝罪の意思を表した大写しの鮮明な写真が、今なお、今だからこそ、といわんばかりに、掲げられています。いかに過去を記憶すべきかは、ドイツで深く教えられます。
ドイツは戦後直ちにナチ犯罪を反省し、謝罪し始めました。教会も、社会全体もそれは大切な課題として記憶しはじめたのです。しかし多く出された声明、宣言は何度も繰り返し更新されていきました。なぜなら当初のそれは具体性にかける部分があったからです。直接ユダヤ人に向けた謝罪ではなかったのです。それは深められていかねばなりませんでした。ブラントの雨の中の謝罪はその点徹底的で具体的でした。
日本では相変わらず多くの人々の支持を集める保守政治家が口をそろえて、「南京事件はなかった」「慰安婦問題は存在しない」といい続けています。証拠も、証言も、多くありますが、なお何の証拠もないといい続けます。そうした発言は生存する韓国、中国の数え切れない被害者に二重・三重の苦しみを与えるものにほかなりません。ドイツをほんの少し歩いただけで、人々の歴史への真実な姿勢に驚かされます。わたしはそうした思いを、英語を話す娘さんに伝え、彼女はすぐに中国語で家族に伝えてくれました。長いときではありませんでしたが、初めて出会ったわれわれ夫婦としっかりと心つながれたひと時でした。
そも民衆レベルでは日韓中は争いあう理由などどこにもありません。友情と平和がそこには育てられてきたのです。そこに政治家の野心があらわになるときに、マスコミが道具に使われて、憎悪や違和感が煽り立てられます。民衆と国家権力の意向は、決してひとつではありません。

その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福する第三のものとなるであろう。万軍の主は彼を祝福して言われる。「祝福されよ わが民エジプト わが手なるアッシリヤ わが嗣業なるイスラエルと」と。

イザヤ19:24,25

この三国とは隣接しつつ、不幸な歴史を負いあった意味では、21世紀の東アジアの三国にむけられています。

(2012年09月23日 週報より)

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