心の危機の時代に

さまざまな危機をのり越えて、初代教会が基礎を固めて発展しようとしていた60年代から1世紀末時代のローマ帝国はきわめて深刻な危機を迎えていました。悪名高かったネロが死んだ後、皇帝ガルバは即位して半年で殺され、つぎに皇帝を継いだオトーは、3ヶ月でクーデターが起き、自殺し、ついで皇帝の座に座ったヴィテリウスは8ヶ月でヴェスパシアヌスに殺害されるという混乱振りでした。紀元69年12月20日のことです。ユダヤでは66年にローマへの反乱が起こり、70年にはエルサレムの破壊。73年にマサダの要塞でユダヤ人は玉砕したのでした。その後2千年の間、ユダヤ人は流浪の民として苦難の中で世界に散ります。

「ローマ人の物語」の中で、塩野七生さんはこう書きます。

「もはや坂を転げ落ちるばかりのローマ帝国を書いていて思うのは、中間と下部がだめになったら、いかに上部ががんばろうと何をやろうとだめと言うことである。反対に、中と下の層が十分に機能していれば、少しばかりの間なら上層部の抗争で生まれた弊害も吸収可能、と言うことである。・・・内戦に参加する軍団が通過する街道からさして離れていない、帝国の通貨鋳造所では、金や銀をちょろまかす所員もなく、皇帝ネロが改革したとおりの良質な硬貨が作られ、途中で奪われることもなく、広大な帝国の各地に運ば れていたのである。それも次々と入れ代わる皇帝の顔を刻んだ銀貨を鋳造しても、それが市場に出まわるころには、当の皇帝は殺されていたのだから、紀元1世紀のロー マ帝国には、悲劇を喜劇に変えてしまう活力までがあった。」

ローマ人の物語 危機と克服の緒言

2千年前のローマと2千年後の日本を並べて、なにか言うのも飛躍がはなはだしい、と言われるかもしれません。でもそこに住むのはやはり人間です。教会がそうした社会で生まれ、人々の中に浸透する一方で、強大な権力と暴力で人々を威嚇するように見える上流階級がじつは、根本から腐敗しつつ、社会は与えられた日々の仕事をひたすらまじめに取り組む人々の存在によって支えられていた事実があったということでした。
ひるがえって現代の日本はどうでしょう。毎週、毎週幼い子供への虐待が伝えられます。今週も、堀の内の駅で、2歳と3歳くらいの子供を連れていたお母さんが、周囲に他人がいることなど全く見えなくなって、血相を変えて幼い子供たちを汚い言葉で叱り飛ばしていました。そこには、母親らしさ、女性らしさは少しも感じられず、寒々とした、激しい怒りがもえていました。そして、そこから数メートルさきにある駅の交番で、どうやら、万引きをしたらしい主婦らしき女性が、机の上に置かれた、スーパーの二つのかごいっぱいに入った商品を前に、二人の警官に聴取されていました。もちろんその人には、深い事情はあるのかもしれませんが、見たとおりの出来事でした。人と人との関わりはますますうすれていくなかで、人の心がますます乾いていく現実を見せつけられたような気がしました。
「おカネさえあれば、人の心さえ買える。」決して日本人が言わなかったせりふを公言する若者が、責任ある与党のリーダーの一人に褒めちぎられて、選挙にうって出る時代。

教会というところは特別な場所なのかもしれません。ここに集う人は多くはありませんが、他人のために祈り、犠牲を払い、多忙な中を工夫して、日曜日の礼拝を重んじてくれる人々がここにいます。こうした時代の、こうした社会のムードに押し切られないで、明日を信じて歩む人々がいてくれます。ここに教会がおかれている意味合いは小さくありません。
わたしはいわゆるセレブとは無縁の庶民。下層で満足。でも心は、すがすがしくキリスト者でありたい。あせらず、いきりかえることもなく、穏やかに、教会の仲間たちと、この信仰を生涯貫いて歩んで生きたいのです。

(2006年08月27日 週報より)

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