作成者: Yugi Church

十字架の道行きの中で-ヴィア・ドロローサ

カトリック教会に足を踏み入れると、たいていの教会では<十字架の道行き―ヴィア・ドロローサ>といわれる主イエスが、重い十字架を負って歩まれたときに出会った人々との物語が絵や彫刻で示されます。すでに鞭打ちの刑を受け、虐待にやつれた主イエスにとって、70キロを越...

復活を望んで

3月の終わりになると、私は一つの出来事を思い出します。私のうちでは昨日おこったことのように鮮明に記憶していることですが、もう途方もない時が過ぎてしまったことです。約30年前の3月、70歳を過ぎたばかりの孤独な女性が国分寺の病院で亡くなられたのです。彼女は結...

スクールカースト

最近の新聞で知った新しい言葉に「スクール・カースト」なるものがあります。学校で成績や運動能力、外見から一種の階級化が行なわれインドのカースト制度のような画然とした動かしがたい階層集団を作ってゆくもので、もともとはアメリカで始まった現実のようです。民主主義の...

それでも、世界の主なるキリストを見上げよう

もはや夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。 ヨハネ黙示録22:5 この文章を書いたヨハネは囚人としてパトモスという小島に、流刑者として日々を過ごしていました。当時ローマ帝国にあってド...

心の支えとしてのキリスト教信仰

牧師の職務のひとつに悩みを持つ人の苦しみに耳をかたむけるということがあります。牧師はカウンセラーではありませんが、いわば緊急避難的に心痛む人の来訪をうけることがあります。けれど最近は、ほかならぬ牧師自身が深い悩みを抱えて、自分にとって不都合な過去の出来事の...

できれば、せめて・・・

使徒であったパウロの言葉に「できれば、せめてあなたがたは」と言葉をつなげ、その後に<平和に暮らしなさい>と語りました。(ローマの信徒への手紙8:18) 21世紀の東京であろうと、1世紀のローマであろうと、人間が平和に暮らせていない現実は変わりません。なにも...

それなのに・・・(ルカ15:29)

私が赴任した教会で未受洗者の陪餐を容認する聖餐式を提案したときのことです。信仰歴が60年を超え誰からも信頼されていたある信徒が「先生、私は洗礼を受けてから、一生懸命に聖餐式を守ってきました。それは無駄だったのでしょうか?」と涙ながらに訴えてきました。なぜで...

主に向かってあたらしい歌を歌おう

世界には次から次へとさまざまな事件が起こります。新年早々に起こったアルジェリアでのテロは真面目に働いていた日本の技術者を無慈悲にも犠牲に追いやりました。テロやハイジャックは事の本質に無縁な人々の犠牲をもたらす赦しがたい犯罪です。しかし困ったことには、そうし...

成人式

この春。魚嫌いで『ちびすけ』だった我が家の長男が成人式を迎えました。今では僕の身長を越え、何処から見ても立派な大人。初めての子供という事もあり、僕はデレデレ…良く抱っこもしお風呂にも入り。嘘八百の作り話を聞かせて(笑)…眠るまで傍にいたものです。そんな息子...

神にこの年を生かされて

世界中の人々がこの元旦主に生かされて新年を迎えました。当たり前の出来事ですが、当たり前とはいえないかもしれない。一瞬のトンネル事故に遭遇した人もありました。病気でやむなくこの年を迎えられなかった人々もどれほどいたでしょう。私たちがこうしてこの1年を迎えられ...