もの研究者としてのドイツ巡礼

ドイツ南東部を少し旅行した。遺跡見学もサッカー観戦もないカトリック系音楽学校ゆかりの地を訪ねる「巡礼の旅」にくっついていったのである。修道院の綺麗なゲストハウスに宿泊したのだが、朝は真っ暗な6時前から早朝ミサの開始を告げる鐘がガンガン鳴ってゆっくり寝てられない。鐘に始まり、鐘に終わる生活である。ダウンを着込んでミサに出る。訳が分からないから、周りの人々の動きに合わせて立ったり座ったりする。とてつもなく大きい聖堂に響くグレゴリオ聖歌、祈祷文、そして聖体拝受。煙がモワモワ出ているお香をブンブン振り回す。ちょうど喉を痛めていて、咳をこらえるのが大変である。「ドーム(イタリアではドゥオモ)」と称される街の中心部にある大聖堂は、更にスケールが大きくなる。つぶやくような神父の祈祷もマイクなど使わずに聖堂全体にはっきりと聞こえる音響、時間の経過に従って刻々と変化するステンドグラスの残影、そして巨大なパイプオルガン。次に歌う聖歌の番号が、電光掲示板で表示される。

何よりも印象深かったのは、その祭壇に飾られている数々の彫像と装飾、そのゴテゴテ感である。もちろんロマネスクかゴシック、バロックかといった建築様式の違いによって多少の差異はあるのだが、基本は十字架だの杖だのを持つ等身大の聖人たちの頭上を天使が飛び交い、これでもかというほどの装飾が施されている。後光を表す放射状の矢車を背景にした聖母マリアは、正に千手観音である。連想するのも、日光東照宮である。そして祭壇を支える赤やら青やらの大理石の柱が実は不規則に貫入するマーブル模様を丁寧に模写した贋物(ペインティング)と知らされて、ちょっとホッとする。イミテーション建造物は、南大沢のアウトレット店だけではないのだ。しかしその大理石信仰ともいうべき執念には、驚かされる。祭壇も聖堂正面の主祭壇だけではない。両側の側面にも聖人誰それを主題とする同じような副祭壇が幾つもある。そしていずれも金の装飾でピカピカである。天井も一面の絵画と装飾レリーフで埋め尽くされている。聖なるものを表現したいという幾世代にも引き継がれた欲望に従った究極的な累積が、今目の前に展開している。時あたかもドイツ西部で豪勢な司教館を建設した司教がローマ法王の逆鱗に触れて資格停止処分を受けたとの報道が伝えられる。つくづく人間の欲深さを思わされる。

私が知っている日本のカトリック教会は高幡教会のほかにいくつもないが、いずれもそうした装飾過多とは無縁な、ある意味でプロテスタント教会とあまり大きな違いを感じないシンプルなものばかりである。十字架にイエス像が表現されて、庭にマリア像があるなぁぐらいの。積み重ねられた歴史の違いであろう。だからルターがなぜあれほどの激烈な教会改革運動を始めたのか、今まであまり実感が湧かなかったのだが、今回の旅を通じてよく理解できた。ルターはもともと聖アウグスチノ修道会の司祭であったのだから、最初からプロテスタント教会を創設するつもりなどなかったはずである。何とかカトリック教会としての改革を試みたに違いない。そしてこれはやはり無理であるとの結論に至ったのではないか?
もちろんプロテスタンティズムの核心は信仰の内容である。しかしやはりあの装飾はやり過ぎである。私でも?がしたくなる。今回はドイツのプロテスタント教会に行く機会はなかったのだが、そちらはどうであろうか? カトリックの修道士からは、ドイツのカトリック教会の窮状、修道士も神父も若い人々が激減しているという、これまたどこでも聞く話しを聞いたが、あちらは母体がデカいので、建物を維持するだけでもさぞかし大変であろうと心配してしまう。国からのサポートはあるにせよ。

良き伝統は継承し、改革すべきは改革する。難問である。

五十嵐 彰 (2013年11月10日 週報より)

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