喜びを見失わずに

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすればあらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリストイエスによって守るでしょう。

フィリピの信徒への手紙

この言葉を書いた使徒パウロ、その時点の年齢は50-60歳ほどであったといわれています。当時の年齢からすればかなりの高齢で、人生は幕引きにちかい時を迎えていたはずです。しかもローマに対する反乱罪を疑われて獄中にいたのです。最終的には皇帝ネロの治世で殉教死したといわれています。この人が獄中生活とは無縁の弟子たちに繰り返し<主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。>と言い得たのです。

わたしたちは一応フツウの生活をしています。小さい子供でもいれば、たまには家族でファミレスに出かけ、休暇には小旅行をする機会もあります。そうした生活をしながら、それでも様々な不安、解決に迫られた問題に追われ、ストレスから家族にあたったりするのです。私たちは、実際恵まれた生活をしていながら、本当に喜んで、感謝して日々の歩みを歩んでいるでしょうか。さまざまな問題に直面して心が揺れ動きます。時には感情をむき出しにすることもある・・・かもしれない。

でも、やはり自分に言い聞かせねばなりません。自分の見えていることが「全て」ではないのです。依然として神が、大きなみ手をもって私たちを支えていて下さるのです。自信を失いかけている自分を見直していいのです。私は神に支えられています。そういう自分のまぎれもない一面(というより私たちの拠って立っている拠点)を見失ってはならないのです。

パウロは言葉だけの神学者ではありませんでした。獄中という極限状況で喜びにあふれ、獄中にありながら、外で日常をつつがなく生活している人々を慰め、励ましました。むしろ彼こそ励ましを受ける立場なのに、どうすれば喜びをもって生きられるかを語り続けたのです。私たちは人の幸・不幸はおかれた状況や境遇がすべてと思い込んでいます。しかし聖書を読み続けるとそうした理解は正しくないのだと教えられます。獄中であろうと、死刑囚であろうと、輝く喜びと尽きない慰めに生きうる生きかたがあることを使徒パウロは証しします。今日という日。心に何らの憂いのない人はだれもいないでしょう。でも、そこから、この身を支える神がおられることに目を転じよう。きっと新しい風景が開けてくる。

(2012年04月22日 週報より)

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