あらためて平和を
昨日の新聞の国際欄に、一枚の写真が大きく掲載されていました。半年前に独立をかちえた南スーダンの子供の写真です。1歳ほどのクラットちゃんという名の女の子が祖母に抱かれています。2週間ほど前、この子の一家は対立していた武装グループに襲われ、祖父と両親ほか一家7人が殺され、4人の兄弟は連行され、クラットちゃんは左腕に銃弾を浴び、ひじから先を失ったのです。残った右手にも大けがを負っています。こうした紛争地域では手術に麻酔など使われません。ひどい苦痛にいまもこの女の子は泣きじゃくっています。南スーダン派のこの地域では16万人がこうした暴力にいまさらされているのだそうです。
私は先週「灼熱の魂」というタイトルの映画を見ました。1970年代のレバノン紛争を舞台にしたストーリーです。キリスト教徒の女子大生がイスラムの青年と恋愛に落ち、子どもを宿します。家族を裏切る行為と激怒する家族は、相手の男を殺害し、彼女は大学に入り、子供は家族の手で右足のかかとに3つのしるしの入れ墨を入れられ、ほかに移されます。赤ん坊の行方を捜しまわる中で、彼女はあるバスに乗ります。乗客は彼女以外はすべてイスラム教徒。うたた寝からさめると、バスはキリスト教徒の武装グループに止められ、外側からガソリンをかけられ彼女を除いて、全員殺害されます(当時それに近いことははるかに大規模な形で起こった)。そして行き着いた息子のいたはずの保育園は、キリスト教徒の武装グループに襲われ、焼け落ちていたのです。絶望に駆られた彼女は、フランス語の教師として武装グループのリーダーの家に入り込み、テロリストとしてリーダー数名を殺し、捕らえられます。
獄中で15年間、精神を曲げない彼女に、刑務所当局は最終手段としてアブ・ハレクなる拷問のプロを使い、繰り返し拷問と性的暴行を加えるのです。じつはこの男こそ、捜し求めてた彼女の子のあまりにも変わり果てていた姿でした。その上、獄中で、彼女はその暴行のさなかで、双子を生むのです。双子は殺される運命にあったが、そこに偶然関わった看護婦によって命助けられ、やがて15年の刑期を終えて、母と双子は、カナダに移住する。やがてアブ・ハレクも暴力に決別しカナダに移住します。けれど母はあるプールで泳いでいたとき、かかとに入れ墨のある、しかし忘れることの出来ないアブ・ハレクと出合うのです。彼はまったく気付かないものの、母はアブ・ハレクを見つけます。息子として、そしてかつての拷問吏として。やがて双子もアブ・ハレクと出合います。父親として兄弟として・・・。テロ、武装集団、殺戮、暴行はパレスチナでも、レバノンでも、イラク、アフガニスタン、アフリカでも共通した暴力事象です。
昨日、新聞に掲載された幼子の痛々しい写真は、その延長上におこっている出来事といえます。その背後に、石油利権やイスラエルをめぐる政治状況や国際金融のあり方をめぐる利権が横たわっています。少なくも人と人がむかい合う上に、憎しみや恨みから解放されて、最も弱い人々が犠牲になることのない情況をわれわれはいつ作り上げることができるのでしょうか。
「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」
主イエスの言葉です。
(2012年01月29日 週報より)